「隙 間」

2011年12月12日(月) 「人生、ここにあり」

「どうしたの、その目」

右まぶたが、あつぼったくわたしの顔の右半分を支配していたのである。

「ものぉ、もらっちゃったみたいですね」
「仕事はもう、いらないって?」

金曜の夜十時である。
大分県が体調不良で休んでいたために不在だが、我がチームは火田さんをはじめ、ほぼ全員がまだ帰らずに揃っている。

「それならウィンクできるんじゃない?」

わたしはウィンクとは遠縁の男である。
なるほど、片目がなかばつむってる状態ならば、もはや容易くできるに違いない。

(ぱ、ちり)

「なぜ、よけたんですか?」
「あ、ほらほら、反対でもやってごらんよ」

(ぱ、ちり)

「くち、くち。口が歪んで開いてるって」
「ていうか、両目つむってるって」

皆から散々ないわれようである。

「明日、眼医者にいったほうがいいよ」

土曜なら開いてるでしょう、と火田さんが気の毒そうな目で申し付ける。

火田さんと打ち合わせしている最中もずっと、右まぶたをつむってしまわぬよう人差し指で持ち上げながら話をしていたのである。

眼科なら部屋のお向かいさんで、歯医者の予約ともやりくりできる。

よし、では土日はお休みだ。

勝手ながらそう決めた。
年末を目の前に、それくらい目をつむってくれるだろう。
つむってるのはわたしのほうなのだが。



「人生、ここにあり」

をギンレイにて。
1983年イタリア。精神科病院を廃止するバザリア法が施行されたなか、病院を追い出され行き場をなくした患者たちは「協同組合」に身を寄せていた。

そこへ熱血が裏目に出て転属させられたネッロがやってくる。
精神病とは無縁の、いたって普通の男である。

協同組合の仕事とは、切手張りに宛名がき、生産性に欠けるものばかり。
しかし、その切手の張りかたにネッロは芸術的感性をみつけ、

「社会で働こう」

と皆を社会へ連れ出す。
「寄せ木づくり」の床張り会社を立ち上げるのである。

廃材からモザイクの材料を切り出し、それが評判にもなり、注文も集まってゆく。

薬の副作用で悪影響が出ていたのを、量を半分に処方してもらい、皆も快活になっていた。

社会に出れば、恋のきっかけも、ある。

しかし彼らはそれまで、病院に薬で押し込められ、また引きこもっていたものたちである。

仕事が順調になり、一ヶ月無給で働けば地下鉄の各駅に寄せ木張りの自分たちの仕事ができるビッグチャンスがやってくる。

給料がないのはイヤだ。
おしゃれな洋服を買いたい。
デートできないなら残業なんかするもんか。

協同組合は、すべて組合員の協議による多数決で決めてきた。

社会にでることも。

薬量の半減、何より社会に対する前向きさ、自信、それらを手にいれてゆく彼らだが、社会で普通のひとと同じ認識で暮らしてゆくことは難しい。

彼らはやがて、大きな壁にぶち当たってしまう。

越えがたい壁と、深く口を開けた自分たちのなかの断崖を前に、それを乗り越え、渡ることができるのだろうか。

ネッロは、彼らにただ束の間のかりそめの夢を見せただけだったのだろうか。



やはり、わたしは「ギンレイ・ホール」を愛してゆ。

観たくても予定が合わず観られなかった作品を、こうしてかけてくれる。
もちろん、たまに興味のわかないものがあったりもするが、八割から九割がた、わたしが観たい、観てよかった、という作品ばかりである。

適度にミーハーで、しかし普通のひとが何より観たいとまでは思わないで済ませてしまうような、絶妙な名作加減。

シネコンなんかでは絶対にかからない。

それが週に一本のペースで観られる。

歩いて観にゆける。

もう、最高である。

久しぶりに味わった休みの実感。

例え一日丸々寝て過ごしてしまって何一つまともに片付けられなくとも、このような幸せがあるから日々を過ごしてゆける。

我が人生、ここにあり。


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