「隙 間」

2012年01月04日(水) 「サラの鍵」

「サラの鍵」

を銀座テアトルシネマにて。

ナチス占領下のパリでユダヤ人の一斉検挙が行われた。

それはナチスによるものではなく、フランス警察によるものだったのである。

警官が検挙にやって来た朝、サラは機転をきかせて、弟を納戸の中に隠れさせ、扉の鍵をかける。
父母と三人でヴェルディヴ(屋内競輪場)に連れてゆかれ、大勢と一緒に押し込められてしまう。

そこはひどい有り様だった。

トイレもなく、皆その場で用を足して垂れ流すしかない状態。
収容所で殺される前に、と自殺する者たち。

「息子をひとり、納戸に閉じ込めてきたんだ。頼むから、家へ、逮捕しに行ってくれ!」

検挙当初は「よく弟をまもった」となっていたのだが、このまま収容所に連れてゆかれるらしいことがわかった父は、警官に必死に頼み込む。

しかし話を聞いてもらえないまま、三人は収容所へと連れてゆかれてしまう。

「きっと弟も脱出してるに違いない」

周囲の言葉にサラは、

「約束したんだもの。わたしが帰らなければ、弟は絶対に隠れたままに違いないわ」

「だから、早く助けにいってあげなくちゃ」

サラは収容所から脱出することができ、老夫婦に助けられる。
そして老夫婦に付き添われ、パリの我が家に「ひと月」振りに帰りつくが、我が家はすでに、別の家族が暮らしていた。

呼鈴にドアを開けた男の子を押し退け、納戸の鍵を急いで開ける。

弟が、帰らぬ姿となったまま、サラを待ち続けていた。

それから60年後。

アメリカ人のジャーナリストとしてパリで暮らしていたジュリアは、アウシュビッツに送られた家族を取材していた。

婚約者の実家だったアパートをふたりの新居にしようと準備をするうちに、かつてそのアパートにユダヤ人家族が暮らしていたことを調べあげる。

できるならば正当な持ち主に返すべきだ。

そこまではできなくとも、会いたい、話をしたい。

サラの行方を、探し始める。

父母はナチスに殺された。
弟は、自分が殺してしまった。

わたしだけが、生き残ってしまった。

「お前だ。お前が弟を殺したんだ!」

父母に取り乱した末にとはいえ、叩きつけられた重すぎる言葉。

奇しくも、ジュリアは妊娠していたことに気付く。
四十を過ぎて、高齢出産のみならず、成人までの子育ての不安もある。

生きる、ということの重たさが、大切さが、ここに、ある。

ジュリアはサラの息子だろうと思われる男をようやく探し当てる。

「俺はフランス人だ。ユダヤ人のわけがない。俺の前に二度と顔を見せるんじゃない。いいな!」

サラは全てを隠し、罪を悲しみを苦しみをひとりで抱え込んだまま、亡くなっていた。

サラの本当の姿を、ジュリアは彼に伝えることができるのだろうか?

彼は母親の本当の苦しみを、受け止めることができるのだろうか?



シラク大統領がそれを認め、謝罪し、世界で話題になった。

と、今さらになって知ったのである。

「黄色い星の子どもたち」という別の監督の作品も、この歴史の事実を元にした作品だったらしい。

わたしは観たく思っていたのだが、時期が合わずに見逃してしまったのである。

新年一発目の娯楽は、やはり映画しかない。

ならば、観たいと思った作品を迷わず観よう、と選んだのだが、これはまた、優れた作品だった。

年始めにこの作品にあたって、今年は幸先がよさそうである。


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