「隙 間」

2012年01月05日(木) 惨我日

年末に、普通の掃除くらいしかできていなかったのである。

円盤形自動徘徊掃除機(類似廉価品)に、存分に我が家の部屋を解放した。

「ウィーン、ウィーン」

と、雪に庭駆け回る犬のごとく、円盤形掃除機は歓喜の唸り声でわたしに答えてくれたのであった。

なんだ、そちらにはさっき行ったばかりではないか。
あ、チョイ。

探知センサーなどなく、壁にぶつかると方向転換し、ジグザグや弧を描く動きになったりする。

裸足の爪先で、進路を導いてやったりしてしまうのである。

ほっておけば、広くもない部屋なのだから、その内まんべんなく、そこそこ徘徊してくれるだろうと思われるのだが、愚直なまでのまっしぐらさ加減を見ていると、ついつい愛情がほとばしり出てしまう。

ほうら、これを取ってこい!

ふわりと放たれる糸屑。

ウィーン、ウィーン!

それはまるで、投げ放たれたフリスビーを追いかける白毛の犬とご主人みたいで、まことに優雅である。

ウィーン!

まっしぐらに脇を通り過ぎてゆく。

ガツッ。
ウィ、ウィーン。

糸屑を拾い、壁にぶっつかり方向転換したその正面に、ハラリと落としてやる。

うむ。
たんと吸いやがれ。

そんなアホ丸出しで、さらに油断したら鼻歌まで出てきそうな様子である。

大晦日から元旦まで実家で過ごして新年を迎え、それからとって返して谷中の我が家である。

そして「初夢」をみた。

夢など年間で片手で数えるほどしかみないわたしである。

それが、なんと珍しい。
しかも、麗しの小西真奈美嬢との共演。

内容がたとえなにもなくともそれだけで大満足である。

その夢のおかげで、ギトギトになっていたガスコンロの五徳も、すっかり綺麗に掃除することにもなったのである。

そして、新年のご挨拶に氏神さんらのところへ行かねばならない。

決して「ならない」わけではないのだが、男には大義名分というのが必要である。
何が大義なのだかもはやわからないが、要するにイチイチが面倒くちゃいヤツなのである。

氏神というと住所からゆけば、本来「諏方神社」になるのかもしれないが、谷中に移り住んでから六年間、ずっと根津神社ということにしている。

歩いて十五分かかる諏方神社と、五分で、しかも一時は通勤で目の前をシャコシャコ自転車で通っていた根津神社である。

どちらが、となれば迷うまでもない。

さらに、諏方神社の御祭神は「タケミナカタノカミ」であり、オオナムチ(大国主)の次男坊だという。

調べると面白い。

アマテラスに「国を譲れ」と脅迫されたオオナムチは、「それだば、息子達さ聞いてぐれ」と。
タケミナカタは、「何ばほんじなしごどば!(何を馬鹿なことを!)」と抵抗。
しかし抵抗むなしく海(諏訪湖)に追い詰められ、

「こごはんで外さ出ません。 命だげは助けいてけろ?(ここから外に出ていったりしません。だから命だけは助けてくれませんか?)」

と降伏したのである。
大和朝廷の統一神話を、土着の神々をおとしめつつも寛大さによって受け入れていると伝えるためのオハナシである。

東北弁っぽいのは、出雲弁と東北弁に共通性があるというこれまた面白い事実に乗っとり、わたしが脚色してみただけである。

勢いだけの腰抜けか、と勘違いしてはならない。

「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」

と軍神として知られている。
また風の神ともされ、元寇の際には諏訪の神が神風を起こしたとする伝承もあるのである。

もとい、そんなタケミナカタノカミの父親であるオオナムチノミコトが神田明神で、またその親系のスサノオノミコトが根津神社である。

長いものには巻かれ、危機にはとっとと尻尾を巻いて逃げるのが信条のわたしである。

「君子危うきに近寄らず」

とそれを支持する金言もある。


さて、いざ根津神社である。

さんが日はさすがに大行列である。

「お急ぎの方は列の脇から並ばずに御参拝いただけます」

もちろん、そのつもりである。

チョイチョイ、チョチョイと御参拝を済ませ、気合一発、小槌を振っておみくじをひく。

スサノオチャマ、お願いちます!



えい!



さあさあ、すぐに神田明神へ。

こちらは「江戸総鎮守の神」である。

もはや秋葉原、というところまで参拝客が並んでいたのである。

長いものに巻かれたり、巻いたりするのはよいが、一方、長い列に並ぶのはごめん被るわたしである。

またチョチョイと脇から御参拝を済ませ、気合一閃、おみくじをひく。



ナムナム!



親子揃って似たようなことを言うものである。

吉に中吉と多少の差はあれども、肝心要の縁談・待ち人が、

来ず、

だの、

目上の引き立てに頼れ、

だの、己の力ではいかんともし難いという結果であった。

えい、やはり「長いもの」に巻かれるべき一年になるのだろうか。
もはや宿命である。

ここはそれに従って、じっと目上を上目遣いで見つめ、時折「てへぺろ」と舌出しウインクでもして見せる訓練をするとしよう。

なんとサブイ光景だろう。
身の毛がよだつとはまさにこのことである。

明日から仕事始めというときに、風邪をひいては元も子もない。

四日から仕事なんだか、何日から仕事なんだか、目まぐるちくてかなわない。

ここはただ初夢で想い人と会った喜びを噛みしめよう。

コンロはガスに限るのである。

ガス、パッ、チョ。

続きはウェブで。

お楽しみは、まだ、とったままにしてあるのである。


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