「隙 間」

2012年01月10日(火) 一念の計は願胆にあり

正月明けすぐの三連休。

さんが日の初詣で、じつはようやく根津神社と神田神社の御朱印をいただいてきたのであった。

それで氏神さんらへの初詣は済ませたが、一度押されると次々とほかの白紙にも朱を押したくなる。

そうだ。
思い付くかぎりのわたしに必要な御利益のある神社へゆこうではないか。

御朱印といえば、「江戸最古」といわれている「谷中七福神巡り」や「下谷七福神」や「浅草七福神」や、「江戸十社巡り」などが一般的に意欲をそそられる。

しかしわたしは、すごろくのマス目を順に埋めてゆきたいのではなく、御朱印帳の白紙を朱印で埋めてゆきたいだけなのである。

いざ、御朱印巡りへ。

ゆくなら外せない神社の一つ、「小野照崎神社」

俳優の渥美清さんがここにお参りして「寅さん」の役を手にいれることができた、という逸話があり、芸能(学問にも)に御利益があることで有名な神社である。

芸能と文学は若干違う気がしなくはないが、いいやこの際、似たようなものである。

上野から浅草に向かう途中の下谷にあるので、なおさら都合がよい。
そのまま浅草神社にゆける。

小野照崎神社では、

「願を掛ける際、好きなものの何か一つを我慢することを誓う」

らしい。

好きなものとなるとわたしには何があるだろうかと、あと一礼を残すのみになっても思い付かない。
好きなものなどが身近にそうあるような、満たされた暮らしはしていないつもりである。

「ちとじっくり相談が必要なので、あらためて」

モニョモニョ(仮)を断ちますので、どうかよしなに。
むむっ。

と拝み手越しに力強く一礼する。
モニョモニョ(仮)を何にするか、早々に決めて御祭神の小野篁(タカムラ)さんに申告しなければならない。
境内を出る前に、いや、御朱印をいただいて、それから。
あいや、もういただいて、鳥居をくぐってしまった。

さあ次の神社へ。

しかし道すがら、ずっと腕組み唸りながら緊急会議である。



断てというなら、もう決まっている。
肉か?
む、それもある。
カツか、唐揚げか?
いやいやそんな小さな願を断ったところで、相応なのか?
ならばいっそ、もっと重みのある「縁結び」の願を断ったらどうだ?
おおっ。
目からウロコだ。
そんな大事なものを?
本気か。

ザワザワ。

静粛に。
その他、異論はないか?

そもそも、そんな大事に思っているのか。
大事に思っているに決まってる。
そうだそうだ。
大事に決まってるじゃないか。
伴侶だ伴侶だ。
ひとりめしは寂しいぞ。
鍋を作ると三日間続くのも飽きたぞ。
わびしいぞ。
そうだそうだ。

やんややんや。

では。

ザワザワ。

大多数により、「ご縁」を「願掛け」と等価交換とする。

うわああ。
パチパチパチ。



「あなた、結婚願望がもの凄く、出てるよ」

その矢先の、次の神社のひと言目である。

わたしが差し出した朱印帳に御朱印をおしながら、宮司の母親だという巫女さまに、言われたのである。

そういうの、感じるのよ。

八百屋のおかみさんがザルのプチトマトを袋に移すような感じで、朱印をおし、日付などを筆を走らせている。

というより。

「仕事頑張らなきゃ、て方のがあるわね」

はあ、そうですか。

ようやくのこと返事できたが、そのどちらも、わたしの核心とは外れている。

しかし、はたからみれば、まさに「大当たり」に違いない。

たまさか、わたしが他人とは微妙に違う選択肢を選んできているだけである。

「だいじょうぶよ。あなたマジメそうだから、出会えれば」

なるほど。
だが、出会わないのだからどうしようもない。

しかしそれでは、ご縁に関しては完全に神頼みにしてお任せしよう。
そうすれば、おかげさまで小説だけに専念できるというわけである。

ナムナム。

さあ、おみくじである。
今のところ、吉中吉しか出ていない。

いざ。

カラカラカラ。
シャッシャッ。

「ようこそお参りくださいました」

おみくじを差し出す巫女さんにペコリと会釈を返し、はらはらとくじを開く。

「縁談、ととのわず」

なんとも、徹底したものである。
ここまでくると、迷いがない。

巡ったほうぼうの神様たちから、とことん念押しされてしまったのである。

いやつまり、なおのこと「ご縁」については神のみぞ知るにお任せして、じたばたしないようにしよう。

腰を上げてなるものか。
溶岩焼きの溶岩石のごとく、座り込み過ぎて熱くなった石に、まだまだ座り続けてやる。

石の上に何年。

苔の一念。

桃栗三年、書き八年。

なんでやねん。

今年は何よりも、書き初めの年となるように。


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