ひとが腹痛で休んだり、親知らずの歯茎が腫れて口が開かなくなってズキズキする痛みと戦い明け暮れたりした最悪の二週連続の週末を過ごしていた間に、なんと大変な事が起きてしまった。
大泉洋またはえび蔵こと大分県がダウンしてしまったのである。
過労である。
朝、大分県は火田さんと会議室に入ってゆき、そしてしばらくして火田さんだけが戻ってきた。
「一週間くらいは休んでもらうことになったから」
昼前に、ようやくわたしのとこに火田さんが説明にきた。
うむ。 一週間で足りるはずがない。 しかし、それ以上いなくなられると、大分県の追い込まれた数々の仕事らがにっちもさっちもゆかなくなる。
一週間で足りないような症状まで耐えてしまったのか、それともまだ、身体のみが悲鳴を上げた時点で踏みとどまったのか、わからない。
さらに、今の火田さんの采配ぶりも限界パニック寸前の状況である。
なにせわたしに
「そっちは大丈夫? よろしくね」
と関わる余裕すら見せず、
「ありがとう、助かる!」
とわたしの些細な、せこい根回しに感謝の叫びをくれたりしているのである。
わたしがいうのもなんだが、顔に余裕が、一マイクロ、いやナノ、いやいやピコメートルほども見られない。
火田さんとわたしが大分県の分を分け合って回してゆかなければならないのである。
いや。 無理だって。
とほかに采配できる内容の仕事ではない。 ましてや中途で断ったりできるような仕事でもないのである。
なにせBIMである。 社内で加減がわかるのは、大分県とわたしの二人しか、いないのである。
この状況。
空気は常に緊張感を孕んでいる。
精神衛生上まことによろしくない。 君子危うきに近寄らず、である。
こちらが近寄らずとも、ほかに擦り寄れぬとなればあちらから近寄ってくるのが、摂理である。
降りかかる火の粉は振り払うものだが、振り払うその手が火傷するのは、イヤである。
できるならば、華麗なフットワークで火の粉に触れることなく、全てかわしたいところだが。
うぬぬ。
道に飛び出した仔犬を迫りくるトラックから庇ったときに負った、この足の負傷さえなければ。
といった心情である。
つまりは、今回の火の粉はそのままかぶるしかない、ということである。
着火する前に、出来る限り疲労を抜き、睡眠を回復させておかなければならない。
しかしそのための行いは、こちらは終電だというのにそちらはもう帰るのか、自分だけ楽にいようだなんてとの勝手な振舞いに見えてしまう。
終電ではなくとも、それでも毎日夜十一時頃まで働いているのである。
わたしは、何でもないどこもおかしくない、まだ余裕がありそうじゃないか、とはたからは見られるだろう。
皆さんがもうダメだとバンザイしたその先の状態に、わたしは既にいるのである。
グループ内の故障者が過去一年以内で二人目、まだ頑張れる社員が(切り盛りできる立場の者が)火田さんとわたしで、二人残っているというわけではないのである。
空気だけでももう十分なピリピリが、やがてこちらに直接向けられる。
お願いだから、せめて夜十時には会社を出られるようにさせて欲しい。
わたしの限界はもう、すぐ前に常に見えているのである。 いや、皆ももうとっくにきているのが易々とうかがえる。
ああ。
とかくゆっくり休みたい。
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