「今夜――」
来るわよね?
いったい何のことか、大胆なお誘いなのか。
金曜の昼休みが終わると、火田さんに聞かれたのである。
「ああ――」
社長の歓送迎会が、役員もろもろ出席のもと予定されていたのである。
役員というのは親会社のお偉いさんがたばかりなので、会場はかつてわたしが出向していた親会社の三十階レセプションフロアーであった。
「そう、でしたね――」
どうやら、わたしがそういった飲み会を含めた外部のものに「積極的」に参加しないことに対して、火田さんがわたしの首に縄をつけるがごとく、目をつけられてしまっていたのである。
「行き、ますよ――。今回のはさすがに、もちろんじゃないですか」
さて、そんなことで。
定時になり皆それぞれで仕事に切りをつけ、ぞろぞろと会場に向かったのである。
品川の海側、地上三十階である。
お台場から東京スカイツリーまで、ようく見渡せる。
もちろん、東京タワーも。
わたしは一対一ならば会話をするのだが、三人を超えると途端に話さなくなる。 そのくせ、沈黙が気になるのである。
そんなときに窓外の景色をぼんやり眺めて紛らわしたりするのだが、気付いたらなんと、前社長の助さんと火田さんの三人きりになっていたのである。
立食式のパーティーであったので、他にいたはずの面々は隣のテーブルに場を移していたのである。
えい。 だからなにさ。
「やあやあ、どうもどうも」
二週間ぶりの助さんはすっかりできあがっている。 ひと口だけでも酒で舌を湿らせればいつもこうなる。 こうなればただ調子を合わせておけばご機嫌なままである。 仕事的な難しい話なら火田さんがすっかり相手してくれるはずである。
「じゃあねぇ〜」
よよよ、と片手を敬礼だかおでこをさするだかわからない位置に上げて、思ったより淡白に、次のテーブルへと移っていったのである。
これは助さんのグラスの水割りが、はなから少ししか残っていなかったおかげであろう。
ほうら、ワインを注いで満面の笑みで、ひとにからみだしたではないか。
「あらあら」
火田さんもそれをわたしの隣で、くっくっと笑っている。 ところで、
「最近、料理作って食べてるの?」
わたしが以前、
「切って炒めるだけで、味は「味覇」任せなだけのものなら作って食べてます」
と話したとき、
「味覇! 知ってる知ってる! 重宝するよね!」
と至極共感していただいたことがあったのである。
最近は。
「帰って作れるような時間に帰ってないもんねぇ」
ごめんねぇ。 わかってるのよ、と反省に頭を下げる火田さんの脇で、返答に窮してしまう。
たしかに夜中零時に帰ってきて、そこから晩飯を作って食うなどあり得ない。 大概、馴染みの弁当屋で買って済ませてしまっているのである。
土日の作りおきは、土曜に作って日曜に食い尽くしてしまう。 したがって月曜からは何もないので買うしかないのである。
ちなみに、先日の月曜日に健康診断があったのである。
検査結果がでるまでは、
「唐揚げ祭り」
を個人的に開催中なのである。
唐揚げは、素晴らしい。 唐揚げは、美しい。 唐揚げは、愛である。
ひとの愛は金では買えないが。 唐揚げは、買える。
台東区一安い、と看板を掲げる弁当屋の唐揚げは、身もコロモも、いやココロも、詰まっている。
ああ、唐揚げがわたしを待っている。
今、この会場の大皿のなかに、唐揚げの姿が見当たらない。
どこか別のテーブルに、実はちゃんと並べられているのだろうか?
あれか、あそこか、いや違う、などと目を配っているうちに、火田さんは別のテーブルでケラケラ談笑していた女性陣に袖を引かれているようだった。
じゃ、ちょっと料理を取りにいきますので。
わたしはそそと離れ、何周目かの料理皿を巡ってまわる。 やはり唐揚げはどこにもなかった。
唐揚げだけではなく、揚げ物自体が、ない。
年配者らが主賓だから、なのかもしれない。
わたし自身も、中年のかどを曲がりきったあたりに立っていることくらいはわかっている。
わかっているが、愛に年齢は関係ない。
唐揚げ、愛。
健康診断の結果が出てくるまで、それまで節制していたのだからよいだろう。
剥き出しの、愛。
世間で唐揚げ愛好家のことをカラアゲニストというらしい。
わたしは、おそらく、彼らとは違う。
唐揚げを求めるのではなく、あるから求めてしまうだけなのである。
宴もたけなわだが、わたしはとっくに気もそぞろである。
この宴が閉じれば、そのまま帰れる。 どこにも寄らず、まっすぐに、である。
烏龍茶はもう十分飲んだ。 さすがに「黒」烏龍茶ではなかった。 野菜の煮物だサラダだばかりを摘まんである。
青椒肉絲や酢豚は、ほどほどしか皿に盛らなかった。
久しぶりに晩飯を作れる時間に帰れるのだが、すまない。
今夜も、カラアゲイン
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