絲山秋子著「ラジ&ピース」
東京から離れ、群馬のローカルエフエムのパーソナリティーをしている野枝は、頑なにひとりでいる自由に閉じ籠っていた。
不案内の群馬の観光スポットや穴場や生活習慣さえ、リスナーに質問されても自分の足で向かってみることをしようとは思わなかった。
しかし、同世代の女医の沢音と出会い、素直でお節介でマイペースで、「かかあ天下」たる群馬女性の素養満載な沢音と過ごすうちに、次第に頑なな気持ちがゆるくなってゆく。
気分転換にと、薄く、軽く、あっさりした、絲山秋子作品を選んでみたが、物理的に時間が無さすぎた。
ちっとも、読む時間と気持ちとタイミングが合いやしない。
そのくせ、昼休みは常に片手に持って食事に出掛けている。
ひとりになれて、ひと息つけるところへゆくが、飯を食っただけですぐ戻らねば昼休み内に間に合わない。
まったく。 本を読めないことに対して、次第に仕方ないと思い始めてる自分に、ストレスを感じてしまう。
歩きながらこれらの文字を打ち散らし、ようやく何日かかけてあげてゆく。
途中のものがたまってゆき、日付の順番がごちゃ混ぜになる。
頼むから、ひとりの時間を侵食しないでくれ。
これではまるっきり、作中の野枝と同じ心境である。
他にひとがいないのだから、わたしがやるしかない。
やらねばならない。 やれねばならない。
いや、やはりやらねばならないのである。
「竹さん株が上がってますよ」 「なぜ?」 「おおらかさが、ポイント高いんじゃないんですか?」
うほっ♪
と、こっそり教えられた噂に舞い上がるわたしではない。
それまでの大分県が、普通にあるべくしてキチキチと皆の仕事の配分やペースを管理していたのが、わたしだけになっただけである。
しかも、皆に任せる、と都合のいい放任主義的な方針になりつつある。 そうしてでも自分の余裕などを確保したいのだが、そうはうまくゆかないのが常である。
任せたからとて帰りは十一時過ぎてようやく鞄を手に出られるのが関の山。
一対一の会話の途中で、プツリと寝てしまうのも度々である。 しかし、それもほんの一、二秒くらいだから、慌てるそぶりなくわたしは「うーん」と思案にふけってみた、というていを取り繕って誤魔化している。
会話の最中。
これは、ヤバい。
土日は完全に寝てしまうことで潰されていて、それなのに、なお、である。
ひとから見たら、なんだ自分より休んでるはずじゃあないか、となるので、わたしはエヘヘと頭を掻くしかない。
いや、思いっきり思慮深く「うーん」と唸ってから、目を開ける。 寝ていても、寝ていると自覚があるうちは思考や手が動かせているので、おそらくまだ見破られてはいないだろう。
よもや会話の相手が会話の最中に、会話をしながら寝ているとは思うまい。
しかし。
ヤバい状況なのは、わかっている。 改善策を練らねばならない。
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