気持ちは二十代、こころは中二、実年齢は三十路の下り坂をネコまっしぐら。
わたしは、きっと思っているよりもアンバランスなミスターチルドレンである。 かつて「アダルトチルドレン」なる言葉があったが、今でも世間に通じるのだろうか。
まあ「内弁慶、外地蔵」でもあるわたしは、わかったようなふうに見せて、その実は、だからって仕方ないじゃない、と自分は曲げなかったりする。
曲げないが、なびいたりはしてみせるのである。
風がやめば、元に戻ればよいのである。
しかし、何十年も己の腕ひとつで世の中を渡ってきた者のなかには、そうと譲れないものがあったりするのである。
わが社は、派遣や外注さんらに大部分を支えられている。
彼らは皆、アルバイト的な存在ではなく、ややもすれば個人で一国一城の主たることもある強者、ここが嫌ならいくらでもほかの当てがあるような方々ばかりでもある。
特に、BIMモデルのわかる強者となれば、もはや全国の派遣登録会社に募集をかけても、なかなかみつからない。
そうしてやっと見つかった小東さん(主婦、一児の母)。
BIMで先行する他社大手ゼネコンなどで、その導入や講習テキスト作成などに携わったらしいエキスパートである。
「わたしもう辞める。もう無理だから。じゃあね」
と、とうとう宣言したのである。
二週間目を過ぎたあたりから、愚痴を聞き、なだめ、どうにか耐えてもらっていたのである。
しかし契約更新を迎える間近に、もはや修復不可能な状況になってしまっていたのである。
とにかく、時期が悪かった。
けたたましさと張り詰めた緊張感と否応ない目まぐるしい時間との戦いの嵐のど真ん中に、毛皮を剥かれたウサギが放り込まれたようなもの――。
だったといってもよいかもしれない。
いや。
小東さんはウサギなどではない。
火田さんと同じくらいのお年らしく、それもまた、難しさのひとつになったのかもしれない。
まあ、すれ違いにすれ違いで、互いに肩があたったあててきた、それをいったいわない、聞いた聞く気にもならない、と。
火田さんの方はそんな小東さんの主張は一方的で、自分が話をしようとするのを、小東さん自らが突っぱねて拒んでいる。余裕がない今は、そこにじっくり時間と労力をかけられない。
「いい年してるんだから、私がそこまでゆかなくても、ねぇ」
とりつくしまもないのは、たしかに小東さんの側のようなのである。
完全に、背を向け、首だけ振り返り、「シャァーッ」と毛を逆立て威嚇の姿勢である。
悲しむべきは、そう、それこそまさに因幡の真っ赤に腫れ上がる地肌でふるふる震える白ウサギ然となったわたし自身である。
大分県が休んでいるなか、BIMの担当はわたしひとりである。
小東さんにいなくなられると、人手以上に、知識と根拠がなくなってしまう。
派遣元の上司は小東さんとの相談のなか、
「竹の下について仕事することを条件に、続けられないかな」
などと持ち掛けたらしい。
頼みます。 ホント、頼みます。 わたしにそんな権限も、ましてや立場もありません。
「辞めるなら竹と相談して、それで決めなさいよ」
マジで、頼みます。 死ぬ気で全力で頼みます。 わたしはホント、それは、越権行為も甚だしく。 日本からブラジルほどのものですから。
「そうなんだってさ」
小東さんが、だから決めて、と。
「無理です。相談まではできても、その先はちゃんと火田さんを交えて話しましょう」
えー。口もききたくない。 そんなムチャな。 わかった、わかったから。
ホント、頼む。
「大人気」を、どう読むか?
「おとなげ」と読んでもらいたい。
「だいにんき」と読んでもらいたい。
優柔不断、怒らない、いい加減、話が長い。
そんなわたしだが、それくらいは、多少あるのである。
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