2012年03月09日(金) |
うれしさと切なさと心強さと |
こんのくそテンパった状況のなか、BIMソフト会社主催の講習会があったのである。
講習会は午後イチからで、てんやわんやで出来るならば欠席したいところである。
なんせ、今日中の仕事がある。
「やっぱり、行かなきゃダメですよね?」 「もちろん!」
火田さんに強く頷かれ、社長と火田さんと三人で会場へと向かったのである。
なんせ、大分県が休んでいるなか、我が社のBIMのトップはわたししかいないのである。
講習会といっても、BIMに取り組んでいる大手ゼネコン設計事務所他社の講演会が主である。
講演会場には関連ソフト会社の展示ブースもずらりとあり、主催者を含めて二、三社に知り合いが顔を並べていたりする。
業界は、なかなかまだまだ狭いものだったりするのである。
「チョーップ」
背後から不意に食らって、アウチッと振り返る。 声でわかっていた。 ヘルプで一緒に仕事をしてもらっていた芋焼酎さんである。
四十を半ばにした、ゴツいガタイでこの軽い乗りである。 いや、一見すると現場監督の胸ぐら掴んで「やってられっかコンチキショウめ」とくってかかってゆきそうな風体の方である。
もちろん、出展会社に所属しているので、チョップ以降は行儀よく立ち話である。
そうだ、トイレにゆこう、と思い芋焼酎さんに断りを入れて別れる。
「あの、ちょっと!」
トイレトイレ、と声に出さずに呟きながら歩いていたわたしの前に、バッと横から飛び込んできた人影。
おっと、と立ち止まり、顔を見る。
あっ。
「ですよね?」
スラッとした長身を針金のように腰から上を横に傾けながらわたしをじっとうかがっていた。
「あーっ」
ですよ、です。
「やっぱり〜」
わたしの顔の高さまで折り曲げた曇り顔が、途端に破顔する。
わたしがかつて勤めていた稲でパソコンやネットワークなどのシステム管理部門におられた文豪さんであった。
部署も違い毎日顔を合わせていたわけでもなかったわたしのことを、七、八年ぶりだというのによく気が付いてくれたものである。
いや、よく覚えていていただけたものである。 なかなかに嬉しい。
文豪さんもBIMのソフトを扱う会社に、最近移られたらしい。
ああ、もっとゆっくり四方山話を交わしたかった。
しかし、営業の説明員として来られている文豪さんに、益のないわたしとの雑談に大切な時間を浪費させるわけにもゆかない。
では、と名残惜しくもお別れする。 講習会といっても目新しい情報はなく、手応えはいまいちであった。
いまいちだったよねぇ。
火田さんもうんうんと頷いていた。 その辺りの認識が共通であったのが、貴重な収穫であった。
講習会が終わったのが夕方の六時前。 鬼の居ぬ間に、というわけではないが、火田さんはきっと講習会から家へ直帰するに違いない、と皆は予想していたのである。
しかし、仕事がそれを許しても本人の責任感が許さないかもしれない、と諦めていた者が多かったのも、現実であった。
「そう、じゃあ大丈夫よね?」
火田さんが会社に電話をし、確認している。
「じゃあ、わたしは直帰します」
そして隣を歩いているわたしを見ながら、
「竹さんだけは、会社に戻るから」
じゃあ、と電話を切った火田さんは、「わたし帰っちゃうもんね。こんなチャンス滅多にないんだから」と、スキップを踏まんばかりの顔である。
あー。 わたしだって、このまま帰ってしまいたい。
しかし、今日中にあげなければならない仕事があり、その指示をしてきてある。 であるから、一旦は会社に戻らなければならないのである。
一旦とはいったが、結局零時前まで、会社のセキュリティをかけなければならない最終退出者になってしまった。
八割がたわたしが鍵をかけているのではなかろうか。
「なんか顔色わるいっすよ」といわれなれ、いいなれた者は「あ、地黒なだけっすね」と付け足すようになっている。
てめ、コンニャロ。誰が地黒じゃ。 スンマセン、スンマセン。
ここまでが、ワンセットである。
そうか。 はたからみても、顔色はわるいのか。
アピールだけはしなくてはならない。
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