「隙 間」

2012年04月01日(日) 「種まく旅人」「僕達急行」「おとなのけんか」「ヘルプ

四月一日は日曜日であった。
となれば、久しぶりの映画のはしごをしないわけにはいかない。

新年度になり、仕事もこの時期はいったんは停滞となり、存分に休めたのである。

まずは一本目。

「種まく旅人〜みのりの茶〜」

を銀座スバル座にて。

勤めていたアパレル会社を辞めてしまったみのり(田中麗奈)は、祖父の住む大分を訪れる。
祖父の修造(柄本明)は、周りが農薬を使っている中ひとりで茶畑の有機栽培に取り組んでいた。

しかし修造は農作業中に倒れて入院してしまう。
みのりは農作業も茶畑もなにもわからないまま、修造が元気になるまで後を引き継ぐことになる。

たまに修造の手伝いをしにきていた金次郎(陣内孝則)という男の助けもあり、無謀かと思われた有機栽培の祖父の茶畑を育ててゆくのだが、はたして無事に収穫までたどり着くことができるのだろうか。



作品の内容はよくある展開で安心して観ることができるものである。

陣内孝則のわざとらしいセリフ回しが耳に障ることもない。

ここは、女優「田中麗奈」をみたい。

これはかなり以前からだが、彼女の姿は映画作品でしかみかけなくなっている。
映画女優として仕事を絞っているのか、もしくはテレビドラマの枠に割り込めないのかわからないが、とにかく久しぶりである。

演技力がずば抜けているというわけではなく、ただ自然なのである。

その「自然」さが、演じていないようにみえる自然さだったり、あきらかに演じている自然さだったりと、よくわからない。

しかし、それがなぜか、良い意味で気になる。
気になるので観てしまうのである。

続いて二本目は、

「僕達急行 A列車で行こう」

松山ケンイチと瑛太それぞれが鉄道ヲタクとして、恋と仕事と鉄道にガタンゴトン揺られる日々を描く。

作品の雰囲気は、佐々木蔵之助と塚地無雅が演じた「間宮兄弟」に似ている。

どこか「作りもの」の雰囲気に満ちていて、しかし、世の中に存在するものは全て「作りもの」なのだから、その世界の中で存分に楽しむのも、アリである。

鉄道ヲタクはもはや市民権を得ているに等しい。

様々な嗜好で、鉄道を楽しむ。

瑛太は町工場の後継ぎで、鉄道の鉄部品ヲタクである。
窓枠の金具や座席テーブルの開閉機構や、しげしげと眺め、さする。

松山ケンイチは、少し変わっていて、車窓に合う音楽ヲタクときた。
「この風景には何樫がよく合う」と選んだ洋楽曲を聴きながら車窓を楽しむ。

全国に広く存在する鉄ヲタたちは、どこでその繋がりが活きるかわからない。

今回のお話はその他聞に漏れず、仕事の難題をそれで解決してしまうのである。

そんな予想通りの展開に、へえもはあもない。

感動したのは、九州に左遷も同然の転勤が決まった松山ケンイチが、

「九州。なんて嬉しい転勤先だろう」

鉄道ライフを満喫できる、とまた前向きに喜ぶのである。

これは「釣りバカ日誌」の浜ちゃんと同じ反応だが、西田敏行が万歳するのと松山ケンイチがニタニタ笑うのとでは違うもののように思える。

鉄道に揺られてゆく旅情は、まさに癒しである。

軽い気持ちで楽しめる、テレビドラマのような作品である。

ああ。
わたしも旅に出たい。

映画後半戦。

「おとなのけんか」

をシャンテシネにて。

二組の夫婦が、子ども同士のケンカの話し合いからやがて次から次へとケンカの種が入れ替わりすり変わり、夫婦同士、夫たち妻たち、とにかく途切れることなくケンカが続いてゆく。

ケンカとケンカの間繋ぎが、面白い。

挙げ足の取り合い、和解から一転、相手が変わって、また。

四人のうち誰かが静観、仲裁、役割分担がコロコロ変わる。
変わるタイミング、きっかけが予想通りだったり意外だったり。

ドリフターズのコントを外国で俳優に脚本をつけて映画っぽくしてみた。

といった軽さである。

息抜きのつもりだったがそれには足らず。
かといって文句をいいたくなるようなつまらない作品というわけでもない。

千円に見合う作品ではなかったかもしれない。

さて。

本日のメインである。

「ヘルプ」

をシャンテシネにて。

1960年代アメリカ。
人種差別がまだまだ根強く残るミシシッピ州。

白人家庭でメイドとして働く黒人女性たちの不自由な立場に疑問を抱いた作家志望のスキーターは、彼女らにインタビューし、それを本にしようと思い立つ。

他の州では差別が少しずつだが解消されはじめている。

なのに。

彼女たちは白人と同じトイレを使うことを許されない。
乳母として赤ん坊の世話を全て任せているのに。

彼女たちが使った便器に座ると「病気がうつる」かもしれない。

と。

メイドの子はまたメイドとして白人家庭につかえるしかない。

赤ん坊が大人になると、それが彼女たちの雇い主に変わる。

中には差別などとは無縁の考えで、乳母である彼女を「もうひとりの母」とあつく慕う者もいる。

スキーターはそうだった。

だから、声をあげようと思った。

はじめは口をつぐんでいた彼女たちだが、やがて、ひとりまたひとりと、口を開いてゆく。

それは雇われている白人家庭のおかしさを暴露してゆくこと。

匿名とはいえ、出来事の当事者には自分のことだとピンとくる。

はたして、彼女たちの運命はどうなるのか。



全編にわたって、重苦しさや苦痛さを見せない、感じさせない。

これははっきり言おう。

秀作である。

なんだコイツ、ムカつく。

と生意気な白人の奥さんにカチンときても、メイドたちの強さ優しさ明るさが、気持ちよくしてくれる。

しかし、気持ちよく忘れてはならない。

「わたしが朝来るまで、オムツのなかはうんちがたっぷりそのまんま」

「お嬢ちゃまを、少しでもいいから抱き締めてあげてください」

「彼女はこの子の母親として、時間を持たなさすぎる」

メイド、ベビーシッター文化におけるありふれた日常的な問題。

アカデミー賞受賞作として、メッセージ性がきちんとある素晴らしい作品である。

さて。

休日にきちんと休日として過ごせる幸せ。
四月から社内は新体制となり、わたしは新制のBIMチームに残ることとなったのである。

はたして今年度、いかなる生活になるだろうか。

とはいえ、なるようにしかならないのである。


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