「隙 間」

2012年04月29日(日) 揺れるモノ、上がる幕

今夜、九州に向けて東京を出ます。

東京から九州へ旅にでる。といえば、誰しもが飛行機を選ぶだろう。

しかし、わたしは違う。

バスである。
もちろん、夜行。
飛行機の片道分の運賃で、往復できてしまうのである。

何よりも、旅の味わいが、違う。
飛行機などではとても醸すことが出来ない「旅情」というものがある。

夜八時半東京駅丸の内を出発し、翌昼前に福岡県の博多に到着する。

博多からすぐに、今回の本命である鹿児島に向かう。

「九州新幹線」

である。

「阿房列車」がわたしの旅であるというこだわりが、最近の旅の中ではじめてまともに鉄道を使う。

まだ出発前日だというのに、駅弁は何がよいかもう頭がいっぱいである。

うきうきしていたら、一時間後にバスの出発時間が迫っていたのである。

まだ、谷中の自宅で積み込む荷物に悩んでいる最中であった。

「ギューインッ、ギューインッ、ギューインッ……」

ほらみろ。
携帯電話のアラームが、急かしているではないか。

「強い揺れに備えてください」

地震警報である。

わさわさわさ。

知るか。
勝手に揺れてくれ。
こちとらそれどころじゃあ、ないのである。

まて。

これで地下鉄が止まったり遅れたりしたら、バスに間に合わない。
それは一大事である。

テレビがキシキシと倒れぬよう踏ん張っていたのはすぐにおさまり、今は速報を流していた。

とめてくれるなおっ母さん。
上野の山も今宵かぎり。
また来週、帰ってきたら無事の再会とゆこうじゃあないか。

部屋は大変な荒れようであった。

地震による被害、といっても間違いではないかもしれない。

ひかれる袖を振り切る思いで、わたしはメトロに飛び乗ったのである。

心配は、ただ東京駅のグランスタで夜食のイベリコ豚の弁当を買う暇がなくなってしまったことだけであった。

「阿房列車」の著者である内田百ケン先生ならば、夕方にはもう東京駅に着いていて、同行者であるヒマラヤ山系氏に切符と酒と食事の手配を全てしてもらっているはずである。

そのくせそのヒマラヤ氏に小言や文句をぶっつけつつ列車の出発に胸を小躍りさせている。

しかしわたしはひとりで、その二役をやらねばならないのである。

さて、丸の内に着いた。
やはりグランスタにまで寄る暇はない。
コンビニでパンを買って済まそう。

こうして、わたしの「九州縦断ブラリ旅」が幕を上げたのである。


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