「隙 間」

2012年05月01日(火) 霧ノ中で猛ル大地と山ニ阻マレシモノ

鹿児島の霧島温泉は、坂本龍馬が妻のお龍さんと新婚旅行で訪れた場所である。

そして同じく新婚旅行で訪れた高千穂峰には天逆鉾(アメノサカホコ)がある。

大国主命(オオクニヌシノミコト)から邇邇芸命(ニニギノミコト)に譲り渡されて国家平定に役立てられ、平定後、ふたたび国家が乱れて矛が振るわれぬようにとの願いを込められ、突き立てられた、との伝説がある。

それを、

なんとも面白い形をしゆうがじゃ。
ちっくと、抜いてみるがぁ。
ほれ、お龍、ぼさっとしとらんと、手伝うぜよ。

と、引っこ抜いてしまったのである。

ありゃ、これはマズイぜよ。
誰かに叱られる前に元に戻さんといかんがぁ。

慌てて元に戻したらしい、との話は有名である。

国家平定の象徴である矛を、坂本龍馬がふたたび突き立て直したということが、明治維新の立役者である坂本龍馬の逸話としてこれ以上ふさわしい話はない、と語られることとなったのである。

高知の坂本龍馬記念館に、姉宛の手紙に絵付きでこの様子を書いたものが展示されている。
それを見て、これは是非とも行ってみたいと思っていたのである。

そこでわたしの九州縦断はこの高千穂峰を第一に、エヴァ娘の旅とは逆の鹿児島から北上する順路を選んだのである。

宿を出発し、車に乗り込む。
車案内を、慣れない手つきで設定してゆく。

霧島神宮から高千穂河原へ。

高千穂河原から、高千穂峰に向かうのである。

その前に、今夜必要な機材を、買い揃えに行かなければならない。

高千穂峰の後は、高千穂峡に向かう予定なのである。
高千穂峡は、宮崎県の北部である。

鹿児島と宮崎の県境から、一気に宮崎県を縦断しなければならない。

その途中、わたしは車中泊をすることに決めていたのである。

よい地理の街に宿が取れなかったのもあるが、初夏の大自然の夜に瞬く星々を見上げながら眠るのも一興、と思っていたのである。

車中泊用に改造した自家用車ではなく、ましてやキャンピングカーなどではない。

カローラ・レンタカー・セダンである。

車中泊なりのマナーと快適さを守るために、最低限必要なものがあるのである。

何より、就寝時の目隠し。

百円均一に乗り付け、フロント用のサンシェードと、サイド用にアルミシートを購入する。
アルミシートをサイドガラスに固定するための突っ張り棒と、うまく使えるかもしれないワイヤー付きのカーテンクリップがあったので、それも入れておく。

百円というのは、とりあえず、ということに関してとても加減がよい。

そうして準備万端、車案内に従って霧島神社へと向かったのである。

天気は、悪くなかった。

快晴ではないが、快晴だと逆に暑さと眩しさに参ってしまうので、なかなか素晴らしく相応しい晴れ具合だったのである。

しかとお参りし、くじをひくか御守りを買うか思案していると、「九面守」というものを見つけたのである。

なんと色違いの九つの天狗の面が根付けになっているのである。
全て揃えると大層縁起がよいらしい。

ひとつが六七百円程度なので、九つ一度に買うことだってできてしまう。

各色に意味があるらしい。

健康に開運、厄除け、心眼成就、縁結び。

縁結び。

縁結びは、阿吽の二対で一組となるらしい。

ここはいっそ、九つ全てを買ってしまおうか。

いや。

それはいやしい、あさましいというものだ。

しかし、また何度もこの霧島に来ることがあるだろうか。

「これ下さい」
「お納めいただきありがとうございます」

と、腕組み黙考にふけ、びくともしないわたしの横を入れ代わり立ち代わり何度もやり取りが交わされてゆく。

くわっ。

まなこを広げ、ついにわたしは腕を解いた。

「こちらの何樫は、斯々然々の妙でしょうか」
「その通りで御座います」
「では、それを」

余計な煩悩を払うのに、随分と時間がかかってしまった。

天狗も大笑いにちがいない。

霧島神宮は、元は高千穂峰の頂上にあり、噴火を避けながら現在の場所に移ってきた山岳信仰に端を発している。

であるから天狗なのである。

山頂の天乃逆鉾のは、天狗の面が背中合わせになった形をしているらしい。

是非ともこの目で確かめたい。

急いで霧島神宮を後にして、神宮があった高千穂河原へと向かう。高千穂河原に高千穂峰への登山口があるのである。

その前に昼飯の黒豚とんかつ定食をいただき、登山に必要な体力を回復させる。

陽が薄くなりはじめ、まさに山登りにはうってつけの具合である。

わたしはやはり何かを持っている。

そう確信に変わっていったのであった。

ああ。
ひととはかくも容易く、愚かにも分を忘れて図に乗る生き物なのだろうか。

図に乗り、のぼせ上がったわたしの頭を冷まさせるために、霧島の神々はわたしを車ごと、冷たい霧に包んでしまわれたのである。

高千穂河原に着いた頃には、辺り一面真っ白、である。
さらに、ポツポツと雨滴が頬を叩きはじめた。

この様子では、登るのは難しいかもしれない。

いやしかし、わたしは何かを持っているはずである。
きっとなにがしかの手違いで登れるかもしれない。

なんとも諦めのわるい男である。

ところが。

「火山活動が活発化しているため、当分の間、入山を禁止します」

立札が、わたしの行方を阻んだのである。

ビュウゥゥゥ〜。
ザサァ〜。

一陣の風に煽られ、雨滴が激しく顔面を叩きつける。

霧が、いや雲が、次から次へと山から降りてきて、わたしをすり抜けてゆく。
わたしはしばし、雲とひとつになっていた。

「新燃岳の火山活動が活発化しているため、入山を当分の間禁止します」

辺りは真っ白、まさに五里霧中の真っ只中、わたしは沈思黙考にふけた。

ここは坂本龍馬が妻のお龍さんと新婚旅行に訪れた地である。
比べてわたしは今、ひとりで山に入ろうとしている。

なるほど。

これはきっと、山の神々がわたしに、「ふたりになったときにお越しなさい。今はまだ早い」と申しているに違いない。

ポンと手を打ち、わたしは登山口に背を向けることにしたのである。

雨宿りを兼ねて、ビジターセンターを覗いてみると、高千穂峰の山頂にある「天乃逆鉾」の様子が実寸大で再現展示されていたのである。

実際の山頂は、石積の山の頂部に「天乃逆鉾」が突き立てられていて、石積の山の周囲には進入禁止の綱が張られている。

離れたところから仰ぎ見るしかないのである。

ところがここは、手を伸ばせば「矛」に届いてしまう。

「プラスチックで再現したもので壊れやすくなっています」

との注意書もしてあるので、乗っかったり触れたりしないようにしなければならない。

「珍妙なる顔の様子に笑ってしまう」と龍馬が手紙に書いてある通り、なんともいえない様子なのである。

天狗の面が背中合わせになった柄なので、鼻がニュニュッと突き出しているのである。

これは誰しもがそこに手をかけて引っこ抜きたくなる。

注意書を守り、触れて引っこ抜きたい衝動を押さえて、わたしはビジターセンターを後にしたのである。

あと五分あの場にいたら、胸の前に抱えていたかもしれない。

なにせ、わたし以外にも高千穂河原にきた観光客の方もそこそこいたのだが、霧と雨に挫かれてビジターセンターを訪れるまでもなく退散していた様子だったのである。

館内には、ほぼ、わたしひとり。

あぶなかった。

サアサアと降りしきる雨の中、わたしは車に乗り込み、ハンドルを握る。
山道を抜けてやがて宮崎県を縦断するのである。

悪天候の山道は対向車もほとんどない。
心細くなった頃、数台連なってすれ違う。

高千穂峡の道の駅で、今夜は車中泊する予定だったのである。

高千穂峰を登らなかったので予定が早まっていた。
このままだと、夕方に着いてしまうかもしれない。

その心配は、無用だったのである。

いや寧ろ。

小一時間も一本道のここを抜ければ高速道路の入口に繋がる。

安心しきっていたのである。

すると、一枚また一枚と、なにやら不穏な中身が書いてあるような立て札が、後ろへと流れてゆくのに気が付いた。

もう一度言おう。

高千穂河原からここまでずっと、一本道である。

わたしはついに、車を停めざるをえなくなったのである。

「道路封鎖中」

バリケードの脇にあった旅館の駐車場に乗り入れる。

エンジンを切り、深呼吸をする。
目の前の立ち込める霧を眺める。

わたしは意を決し、車を降りる。

「そうです。ずっと戻って、ぐるっと回らなくちゃいけないんです」

旅館の方に、申し訳なさそうに、そして気の毒そうに、現実を告げられたのである。

「ずっと」というのは、これまできた道をまるまる戻らなければならないのである。

「国道交差点までは通行可」と書いてあったのである。

その国道は、先に通じてないそうなのである。

つまりは、この旅館とその国道を通らねば街に出られない方のために必要なところまでで、道は封鎖されていたのである。

ザザア。

ワイパーが往復ビンタより激しく左右する。
それでも雨滴の滝は視界を遮る。

山道を延々戻り、温泉街でぐるっと迂回し、高速道路で熊本まで北上。

車中泊予定の高千穂の道の駅到着予定時間は、深夜11時になるだろうと車案内が告げていた。

高速道路のサービスエリアなどなら別だが、道の駅にその時間は、あまりよろしくない。

道の駅に車中泊する者らが、アウトドアブーム、キャンプブームなどで増加しているのである。

自販機とトイレと駐車場以外は、大概が夜7時から8時で施設は閉まってしまう。

「道の駅」は、あくまでも「休憩施設」なのである。

仮眠の延長で車中泊させてもらい、施設もそれを受け入れてくれているだけなのである。

そこに。

キャンプ場ではないのに、駐車場にテーブルを出し、コンロで夕食の仕度をしたりするマナー違反が目立つようになっているらしい。

なにせ、車中泊の大概が指すところは「キャンピングカー」などによるもの、というところなのである。

子ども連れの家族、或いは熟年のご夫婦などが、宿や時間に縛られることなくのんびり気儘に旅をしよう、といったところである。

しかし、マナーは、守るべきである。

アイドリング、店舗施設が閉店時間を過ぎた真っ暗な夜間に煌々と車内灯の明かりをだだ放ち続ける。

駄目である。

ましてやわたしは、「トヨタ・レンタカー・セダン・ノーマル」である。

睡眠中の車内の目隠しの仕掛けをこしらえなければならない。
これはマナーだけに限らず、防犯と断熱などの最低限の環境確保に必要なのである。

ベッドが付いてるキャンピングカーなどではないのである。

うむ。
あまりにも向こう見ずだったかもしれない。

時間的に高千穂の道の駅までゆくのは諦め、途中の「通潤橋」で泊まることにしたのである。

教科書にも載っていた「通潤橋」が目の前にある道の駅である。

途中の他の道の駅で、夜食用に地の物を使ったつまみと手作りの弁当などを購入する。

このときはまだ夕方。
山を下りてきたからか、雨も降っていない。

なんだ、雨はもう通り過ぎてくれたのか。

やはり高千穂峰での入山禁止や道路封鎖やとめどない雨は、天からのメッセージだったに違いない。

ひとりで来るんじゃない。
ふたりになってから来なさい。
坂本さんとこと同じように。

なんともにくい演出である。

ようし。
いつかまた来てやるきに。
待っちょれ。

水も食料もほくほくなわたしは、すっかり調子に乗っていたのである。


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