「隙 間」

2012年05月03日(木) 神々ノ群ガリシ場所。積ンダ石

わたしは存分に、高千穂峡を歩き回る。

そうしてまた、どうやら調子に乗りすぎたのである。

高千穂神社までを遊歩道をたどってしまったのである。
それがまた、予想外の険しさである。

たしかに距離は長くはない。
が、険しいのである。

熊野古道の最大の難所「大雲取越」並みなのである。

覚悟しての険しさならなんてことはない。

「遊歩道かよ。どうする? やめようぜ」
「行ってみようよ。大自然で癒しになるって、きっと」

入口で恋人たちが肘をつつき合っていたのを横目に、ズンズンわたしは歩んできたのである。

その恋人たちは、どうやら彼女の意思を尊重し、わたしの少しあとに付いてきていたようであった。

しかし、ズンズン歩いてきたわたしとはかなり距離があいたのであろう。

声も姿も気配も見当たらない。

ふっふっふっ。
苦しめ。
悔やめ。
甘く生易しいものではないのだ。
自然というものは!

神々の住まう高千穂で、八つ当たりとはいえ、わたしはなんと醜悪なことを思ってしまったのだろうか。

もはやあまりのはずかしさに、世間から姿を隠してしまいたいくらいである。

そうだ。
ここには「天岩戸」がある。

アマテラスがスサノオに恐怖し逃げ込み、引きこもった穴である。

しまった。
またなんとバチあたりな物言いだろう。

言い直そう。

アマテラスがスサノオの乱暴にお心を悩ませ、お隠れになった場所である。

そして、隠れてしまったアマテラスをどうやって引っ張りだそうか、と神々が角突き合わせてああでもないこうでもない、とたむろした「天安河原(アマノヤスガワラ)」という河原が、ある。

天岩戸は、天岩戸神社にあり、岩戸は聖域として、宮司も含め、何人たりとも立ち入りを禁ず、とされているのである。

岩戸は神社で申込み、軽くお清めのお祓いをしてもらわなければ見学ができない。

まあ、申込みさえすれば二十分くらいの無料ガイドと同じようなもので見学することができるのである。

そのガイドの中で、立ち入り禁止のお話を伺えるのである。

「立ち入り禁止だから、風化や崩落するがままにされています」

とのことであった。

ポッカリと開いた、岩戸が塞いでいただろう穴は、覆い被さる木々の葉の向こうにしっかりと見えた。

塞いでいた岩戸は、こじ開けたタヂカラオによって遠くに投げ捨てられ、信濃の神社にあるらしい。

もとい、アマテラスを引っ張りだす方法を、ああでもないこうでもないと神々がより集まって頭を悩ませていたという「天安河原」は、天岩戸の対岸の少し上流にいったところにある。

大きくくぼんだ崖の下に小さな社があり、その周囲の川原は、辺り一面に大小様々に積まれた石がまさに敷き詰められているのである。

どうやら、なんの脈絡があるのかわからないが、願い事を込めて石を積むとよいらしい。

しかし、辺りの石は軒並み全て既に使い尽くされ、手頃な石など見当たらない。

人様が積んだ石から拝借するしかない。

まさにそういう状況だったのである。

しかしわたしは、そうしなかった。

当たり前である。

ひとり川原にしゃがみこみ、明らかに積み石ではない石ころをひとつずつ、探してまわる。

河原とはいえ、広くはない。
広くはない川原は、社を参拝するための細い通路以外は石積でまともに歩くこともできない。

その通路は、参拝客たちで大行列である。

そこまでして石を積もうとは、大体の者は思わずに参拝がすめばすなわちすぐに退散してゆく。

そんななか、わたしは奇異に見られようがかまわずと、淡々と石を探し、選び、三つほど集めたのである。

たった三つ、具合がよさそうなのだけでも、十分くらいはかかったのである。

その間ずっと、衆目にその背をさらしていたのである。

清々しささえ感じながら、これでようやくわたしは高千穂峡を後にすることができる、と車に乗り込み、今夜の宿がある熊本を目指したのである。


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