九州は佐賀県の高速道路・金立サービスエリア。
熊本から長崎へ向かう途中、車中泊する場所に決めたサービスエリアである。
「シシリアンライス」と「焼きたてメロンパン」で腹がくちくなり、用を足してからさあ眠ろうかとした矢先であった。
「あのう、すみません」
男が、声をかけてきたのである。
「長崎方面で、乗せていってくれる方を探しているのですが」
ヒッチハイクである。
ここは高速道路の下り線で、終点は長崎である。
「途中までで構いませんから」
途中には、パーキングエリアがふたつあるだけである。 あとはそのまま長崎にゆくのがごく自然である。
ヒョコリと、彼の背後から顔を出した女性がいた。 背が小さく、わたしよりも小さいのだから、中学生になったばかりかと思うような、かわいらしい女子、である。
どうやらふたりで、ここまでヒッチハイクしてやってきたらしい。
なんとも珍しい。
ふたりはまるで、駆け落ちの最中、のような感じにも見える。
わたしは今から眠って朝になってから出発するのでお応えすることはできない、とお断りした。
「そうですか。すみませんでした」
ぺこりと頭を下げ、違うひとのところに、またお願いの声をかけてゆく。
ときにはふたり一緒に、また別々に、乗せていってくれるひとを探し続けている。
わたしはカップ式の珈琲の自販機で珈琲を買って、ひんやりと涼しい風が吹くなかでほっとひと息つくことにしたのであった。
自販機の珈琲が、三百円弱也。
なぬ。高過ぎではないか。
ここは水すら貴重な山中か、はたまた銀座のど真ん中の最上階か。
どうやら豆を挽くところから始まり、じっくりドリップしてくれる仕組みになっているのである。
「出来上がりまで約二分間、お待ちください」
液晶画面に断られ、はい待ちます、とわたしは鷹揚にうなずく。
「ワン、ツー、スリー、フォー!」
チャラッチャッチャ、チャラッチャッチャ。
「アイウォンチュ〜♪」
大島優子のかけ声と共に、音楽が流れ始めたのである。
深夜十一時の自販機から流れるAKB48。
寝ぼけまなこでゴシゴシしていた女の子が、パパの抱っこの中から目をしばたかせる。
いや、まあ、なるほど。 こんなサービスで時間を紛らわしてくれようとは、驚きである。
ヘビィ〜イ〜、ロ〜ォ〜テ〜ェ〜。
「ピ、ピーッ、ピーッ、ピーッ」
「出来上がりました」の文字が、取り出し口に点滅している。
なんと素敵なタイミングだろう。
「ショ〜ン」と口ずさむつもりの口から、「ショ〜きたか」と苦笑いながら出来立てらしき珈琲を取り出す。
うむ、まあ、自販機の珈琲ではない、珈琲である。
両手で包むように持ち、フーフーしながら、ズズズと吸う。
向こうではさっきの男女が、まだまだ声をかけ続けている。
まさに「非日常」である。
旅なのだからそれは当たり前である。 しかし、ひとりだとそれはただ「移動」してるにすぎず、電車に乗って品川にゆき、また上野に帰ってくるのが、場所が変わっているだけのような錯覚に陥るのである。
ぶるる、と首を振る。
九州新幹線で弁当ふたつを平らげたのも。 霧島で霧と雨に包まれ、火山で大回りさせられたのも。 真夜中の通潤橋でひとり豪雨に打たれ、早朝の橋の真ん中で万歳をしたのも。 高千穂峡で地球の神秘と神々の物語を目の当たりにしのも。 熊本城で「ようく帰ってきんさった!」と武将に出迎えられたのも。
間違いなく、わたしの日常の一部として、昨日までにあったばかりの現実の出来事である。
翌朝、売店すらまだ開店していない時間に、サービスエリアを出る。 昨夜のヒッチハイクをしていた男女の姿はあたりに見当たらなかった。 乗っけてくれる方が見つかったのか、はたまたヒッチハイクのふたりはハナから存在などしていなかったのか。
反芻しているうちに、長崎市内に着いた。
おっと、ここからは急いで坂本さあの足跡を辿らんといかんき。
今日は、長崎から福岡に戻り、帰りの夜行バスに乗らなければならないのである。
待っちょれ。 いや逃げはせんが。
友とかつてきたときにはゆかんかった坂本さあの像に、二十年ちかくの歳月を超えて。
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