美しいから胸が痛むんじゃない 胸が痛むから美しいんだ
家の横の道をまっすぐ北にあがると、 丘の上に大きな白い図書館があります。
そこに咲いていたあじさいの向こうに傾き始めた陽の 光を見たとき、 言葉は何も浮かばないのに胸がとても痛みました。
そして思い出したこのこと。
『「ひとは泣くから悲しいのであり、 物を打ちつけるから怒るのであり、 震えるから怖い」のであって、逆ではない。』
「ことばの顔」鷲田清一 p29 P/B中央公論新社
人は、何かを知覚しても、それに「身体の裏打ち」がないと 味気ない、感情の熱を欠くのだとこの哲学者は、 ジェイムズという心理学者の研究を踏まえて言っていました。
「身体の裏打ち」、それはたとえば 美しい旋律に鳥肌が立つこと、 恐ろしい光景に冷やりとすること。 居心地のわるい空間にいると耳鳴りがすること。
つまり身体は心より遙かに敏感で、 いつも先に美もダメージも受け止めている。
だからこそ自分はあじさいと、その向こうの光に、 言葉を浮かべる前に胸が痛んだのだろうと思います。
きっと絵も音楽もお話も、 何か言葉にする前に胸やどこかが痛むような、 身体が受け止めるような、 そんなものが本当の本物と言えるものなのでしょう。
ご返信につきお知らせ: 日曜日(12日)中までに拝受しました メール・メッセージへのご返信を月曜夜までにさしあげました。 もしも未着の方がいらっしゃいましたらお伝えいただければ幸いです。
月曜日以後に頂戴しました分へは申し訳ございませんが もう少々お時間くださいませ…
あたたかいお言葉、楽しいお言葉、 お心のこもったお言葉、いつも本当に嬉しく拝読しています。
|