| 2005年06月22日(水) |
画家ルオー、そして哀しき我らの道化者 |
先週末、お誘いいただき「ルオー展」を見に 行ってまいりました。
ルオーは、19世紀末から20世紀半ば頃まで 「人間」を描き続けた画家で。 中でも、「道化師」と「キリスト」をモチーフに、 何枚も何十枚もの絵を残した人です。
「道化師」。 かつて自分は景時の中にそうした姿を見、 それにひかれ、 「ピエロ」というポエムを作ったのですが。
パンフレットによれば、この画家は、 「化粧の下に疲れた顔を隠し、 人を笑わせ続けなくてはならない 道化師の姿に、ルオーは社会の中で 生きる人間が引き受けねばならない悲哀を 重ねています」とあり。
そしてルオー自身が生前、 「われわれは皆、多かれ少なかれ道化師なのです」 と言い、自らを道化師の帽子をかぶった 姿で描いていました。
「われわれは皆――」という、 こちらの言葉を初めて読んだとき。
私は、 「ああ、そうか、『ピエロ』を 書いた自分自身も、多かれ少なかれ道化師であるのだ。
だから景時の弱さや哀しさに、 あれほど感情移入をし、 愛をこめ、『へたれ』と彼を呼ぶことが出来たんだ。
『へたれ』、『へたれ』と言い、 けれどどこか言葉の響きほど突き放せない、 言葉ほど『だらしないわね』とも思っていない、 そんな気持ちで呼んでしまうんだ」
そう、思ったことでした。
偶然ながら、近く発売される景時の歌のタイトルは、 「道化者の哀しき嘘は」。
ルオー独特の力ある線でえがかれた、 内の感情が見えるような道化師の絵と。
新しいその歌は景時という人を自分の中で 掘り下げるための何かをくれる、 そんな予感をいだかせます。
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