今日の雨は、もしや雪になるのではと思うほどの冷たさだった。 夫は今日は仕事だというので、昼頃一緒に家を出て、事務所の そばの喫茶店で昼食を一緒に食べた。 それから夫は事務所に、わたしは柏にチケットをもらいに。
予約してあるから、チケットを受取るだけかと思ったら、思い のほか時間がかかった。 それでも、楽しみにしているものを手にするときは、待ち時間 も苦にならないものだ。
その後、イトーヨカドーで手袋を見たり折り畳み傘を買ったり して家路についた。 今日はおでんにするよと宣言していたから、材料を買って帰る のだが、おでん種はほんとに重い。 おまけに折り畳み傘2本とミニ時刻表などがカバンには入って いたし、おまけに雨。 両手の肘にカバンとスーパー袋をそれぞれかけて、両手で傘を ささえながらぎゅっぎゅっと歩いて帰った。
その時に浮かんだ短歌。
いま少し気温を下げてこの雨を結晶化する力をください(市屋千鶴)
雪国育ちだから、雪が懐かしいのは当り前だと思うだろうが、 わたしにとっては、雪は特別なものだ。 両親の離婚にまつわるあれこれが、2月から4月までに有った から、わたしの人生の最初の転換期は、確実にその時期なのだ。 だから、雪を見るといろんなことが蘇ってくる。 懐かしいものも思い出したくないものも、一緒に蘇ってくる。
言葉にすること、短歌に凝縮することが、辛い記憶を思い出に 変える力になった。 そんなことを思い出す、寒い1日だった。
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