鶴は千年、生活下手

2002年12月30日(月) 今年の最後の歌会で

 手の中に光りを包み込むような君の子供を育てたかった(市屋千鶴)

この歌を、28日の合評会で取り上げてもらった。
その時に出したコメント。
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遺す歌と考えたとき、その相手は夫しか考えませんでした。
おそらくは年下の夫よりも先に死んでしまうだろうわたしが、
夫に遺す言葉で感謝の気持ちの他には、きっと子供を持つこと
ができなかったという残念さや申し訳なさではないかと思った
のでした。
手の中に光りを包み込むような我が夫の血を引く子供であれば、
きっと育てていても暖かい気持ちでいられたのではないかなど
と思ったりしました。
この歌に、「でも幸せでした。」と続けて遺す言葉にしたいと
いました。
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実際、歌会の幹事をしていて辛いなあと感じるのは、その月の
お題に納得していないときだ。
特に集計幹事(選歌とコメントを受け付けて集計する担当)と
しては、お題は自分で考えたものではない。
今月のお題は「遺す歌」。
誰かに遺したい歌とか、自分の作品としてこれはという歌とか
なのである。
そして、遺したい歌というときのその遺す相手は、大半が子供
にと考えるのだろう。
そのように、家族に向けて遺そうとする歌を、他人にとやかく
言われたいか。それが、わたしの意見だった。

選歌する方やコメントする方だって、その作者の個人的な思い
のとても強い歌を、どのような基準で選ぶのか迷うだろう。
わたしはそう思っていた。
が、考え様によっては、そのお題で作れないと思えば、自由題
にすれば良いのだし、選歌できないと思えばしなければ良い。

そう思い直して、歌会には題詠として最初に挙げた歌を、自由
題として、昨日の日記に挙げた歌を提出した。

 誰しもが未来を託す子を持って暮らしていると思うな友よ(市屋千鶴)

集計幹事にも、メールで歌が届いてくる。
そして、題詠の多くはやはり子供に遺す歌であったりする。
そんな歌たちを見ていて、どうしてもこの歌を出したくなった
のだった。
お題を出した幹事でさえ、遺す相手は子供だった。
そういう風に何かを託したくても託す相手(子供)のいない人
だってたくさんいるというのに、それを見ていなくはないかと
問うてみたくなったのだった。

また、子供を持てたとしても、自分の子供に未来を託せずにい
る人だっているだろう。
そういう人にとって、他人のそんな歌を目にすることがどんな
気持ちなのかを、少し知って欲しかった。

コメントも同様で、わたしの2つの歌に対して、子供を持って
いることを前提にしたコメントもあった。
子供を持たない夫婦の間で、遺す歌をいうのは、誰に対しての
ものなのか、そこまで考えが及んでいない。
独身の方のほうが、共感してくださる場合が多い。
結婚すれば子供が出来ると、当然のように思っている人(特に
男性に多いみたい)に、この時代、少しは考え直して欲しい。

子供を持てない、持たない夫婦の在り方を、少しだけ思考の中
にとどめておいて欲しいと、どうにもひがみ加減で暮らしてい
た今月だった。
ああ、なんだか、支離滅裂。

だけど、わたしはとても幸せだ。

 君が思う女の幸せなんてもの押し付けないであたしはあたし
                            (市屋千鶴)


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