鶴は千年、生活下手

2003年01月09日(木) 福笑い

NIFTYの短歌フォーラム、今月のお題は「福笑い」。
締切りは1月10日、明日の24時だ。

福笑いといえば、子供の頃はけっこうやった覚えがある。
福笑いとか、双六とか、トランプとか。
あと、花札とか。(^^;

わたしの生家は、いわゆる本家というものにあたっていたので、
お正月にはさまざまなお客様が訪れた。
その中には当然父方のいとこ達もいて、わたし達姉妹の部屋に
子供たち用に炬燵をしつらえて、そこで遊んでいた。
昔は豆炭炬燵だったんだよね。
小学校を卒業する頃に、電気炬燵になったのだった。
その炬燵の上にみかんを乗せて、トランプなんかしていた。

だが、そのいとこ達が帰った後で、わたし達は母の実家に遊び
にいくのだが、そちらの方が格段に楽しかった。
なぜだったのだろうか。

父方のいとこ達は、一同に集まるというようなことがあまりな
かった。親達自体、全員集まるということができなかったから
だろうと思う。
そしてその子供たちは、子供だけで遊びに来たりはしなかった
からなのだろう。
なぜ、子供たちだけで遊びに来なかったのか。
父方の祖母がうるさいのを嫌がったからなのかもしれない。
子供にはあまり居心地のいい家ではなかったのだろう。

母の実家では、子供たちだけで何日も泊まって遊んでいた。
夏休みに至っては、1ヵ月間滞在して、その家の子供のように
過ごしていく従弟たちもいたほどだった。
わたしや姉だって、1週間とか平気で泊まり込み、彼らに宿題
を教えたりしていたのだ。
とにかく、居心地が良かった。
特別なことをしてくれる訳ではなく、洗濯やお昼ご飯なんかは
自分達でやったりして、ほんとうにそこの家の住人になったよ
うな暮らし振りだった。

その母の実家も、今はもうない。
皆を分け隔てなく扱ってくれた伯母が一番先に亡くなった。
その後に伯父、そして祖母と、わたし達の面倒をみてくれた人
達が、次々に亡くなってしまった。
最初に亡くなった伯母の葬式には、本当に久しぶりにいとこ達
がみんな集まって、懐かしんだものだった。

福笑いも、双六も、トランプも、豆炭炬燵も、いろんなものを
失いながら、わたし達は育ったのだなぁと思った。
そして、失ったものたちの代わりに、たくさんの思いやりや、
懐かしい思い出を身に纏って育ったのだ。

今度の土曜日は、そんなわたし達の新年会。

 新年の挨拶かわすそれぞれが大事な人と確認しつつ(市屋千鶴)


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