今日は、会社の事務員さんKさんのお母さんのお通夜。 お母さんが亡くなったのは、2月10日だった。 前日の夜に、一人でお風呂の入ろうとしていて、脳出血を起こし てしまったらしかった。 お母さんは今一人暮らしで、4月からはKさんと一緒に住もうと していた矢先のことだった。 一緒に住むようになったら、お風呂もゆっくり入れてあげるねと 話していたところだったと、亡くなったその日、Kさんは言った。
Kさんのお父さんは、2年前に亡くなったばかり。てからDた 離婚して、3人の子供を育て上げたKさんの、一番下のお子さん が就職するこの春に、お母さんとの同居を考えていたのだ。
今日がお通夜で明日が告別式。 夕方、会社の人たちと斎場に行く。
誰かを失う悲しみは、失う状況にもよるがみな同じではない。 失った相手の現状が、もしや自分達の行動によるものなのではな いかと考えている場合、その悲しみは後悔とともにやってくる。
わたしの父方の祖父母は、わたしが高校一年生のときに相次いで 亡くなった。 父の失踪事件があって、祖父母のショックはかなり大きかったら しく、それ以降二人とも脳軟化症になっていたそうだ。 近所を徘徊したりもしていたらしい。 そのことを知ったのは、亡くなってからだった。 先に祖母が亡くなり、10日後祖父が亡くなった。
わたし達が家を出なければ、惚けてしまったりはしなかったので はないかと、それがひどく心残りで、わたしは亡くなった祖母の 枕元で号泣した。 その後で、寝ている祖父のところに行ったら、わたしの顔を見て にっこりと微笑んだ。 伯母達が、もうなにもわからない祖父が、わたしの顔はわかった のだろうと言って泣いていた。 厳格だが優しい祖父の、優しさが溢れんばかりの微笑みだった。 その10日後(くしくもわたしの誕生日)が祖父の告別式だった。
もちろん、二人の告別式に参列したのは、わたしだけだった。 姉や母はもちろん、父もいなかった。
わたしが亡くした人たちの中で、悲しみとともに悔いの残る人は この二人だけだった。 母も、母方の祖母も伯父も伯母も、わたしには強い悲しみだけが あった。
Kさん、もう少し早く一緒に暮らせていたらって、後悔してはい ないだろうか。 亡くなってから、お通夜まで日があるからだろうか。 会社にも顔をだし、細かい仕事をちょこちょこっとこなして帰る 気丈に見えるKさんが、かえって痛々しかった。
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