北風びゅうびゅうの一日。
昼休みに、夫から携帯電話のメールが届いた。 「ラーメン屋で、紅茶をもらった。」
なぜラーメン屋さんで紅茶なのだろうかと不思議に思いながらも、 「それはうれしいね。」と返事をする。
きっと、それは事務所の近くの、あのラーメン屋だろうと思う。 なにやら、常連になりつつあるらしい。(笑)
ラーメンと言えば、夫はベビースターラーメンにピーナッツが入 ったやつが好きだ。 わたしなどは、そのなかからピーナッツだけを貰ったりする。 それを食べていて、とつぜんチキン○ラーメンが食べたくなった と言ったりする夫。 ときどき、突発的に食べたくなるねと、同意を求められる。 そうだねと答えるが、わたし自身は突発的に食べたくなるのは、 さっぽろ一番み○ラーメンのほうだ。 「しお」でも「しょうゆ」でもなく、「みそ」が好き。
みそラーメンといえば、中学生の頃に母とよく通ったチェーン店 があった。名前ははっきりと覚えていない。 が、そこのみそラーメンにはニンニクがかなり入っていて、母と わたしはニンニク臭くなりながら、その日と翌日を過ごした。 食べにいくのは、大抵、土曜日だった。
ニンニクと言えば、やっぱり母のこと。 高校生で下宿生活をしていた冬の時期、土曜日に帰宅して日曜の 夕方に下宿先に戻るという暮らしだった。
土曜日に家に帰ると、母は豚肉を焼いてくれた。 いわゆる焼肉というのではなく、ただ豚肉を焼くのだ。 そしてタレは、醤油に砂糖とすりおろしたニンニクを混ぜたもの。 不思議なことに、砂糖を少しまぜることで、ぷるぷるした液体に なるのだった。 焼いた豚肉をそのタレにつけて食べる、ただそれだけだったが、 土曜の夜に母と食べるそのメニューは、わたしの大好物だった。
母は、平日は、おそらく漬け物やみそ汁だけで過ごしていたので はないかと、今になって思う。 母の安い給料から、下宿代を捻出するのは大変だったはずだ。 たとえ、20歳そこそこの姉からの仕送りがあったとしてもだ。
姉は、18歳で就職してからずっと仕送りをしてくれていた。 仕送りしながら、自分の結婚資金を貯めたり、簿記学校の学費を 出したりしていた。
わたしが上京して専門学校に通うようになると、今度は母からの 仕送りが来た。 さほど高額ではないその仕送りも、計算すると収入の半分以上を わたしに送るかっこうになっていた。 その仕送りでは、従姉とアパートに家賃を半分ずつにしなければ 暮らしていけなかった。 おまけに、そのアパートは家賃が1万5千円という安さだった。 食事は自炊だし、お弁当も持たせてくれた。 お米だけは、田舎から送ってくるので買わずにすんでいた。
わたしは、みーんなに世話してもらって社会人になったのだと、 つくづく思う。 ラーメンから、ここまで連想の輪が広がった。
ニンニクを二人で食べる関係を母の次には姉、従姉、君(市屋千鶴)
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