小さい頃、家の真向かいが駄菓子屋というか雑貨屋で、その隣が お寺だった。 子供達は、お寺の境内で毎日遊んでいた。 なんかね、似合わないんだけど、一応わたしも、ままごとなどを したことがあるのだった。
ままごとで食べ物のかわりにしていたものの名前を、南大沢で、 昨日初めて知った。 エゴノキだった。 ふ〜〜ん、そういう名前の木だったのか。 花の名前や木の名前。 そういうものに無関心で過ごしてきた日々。 見たことのある花、木、木の実。 その地方独自の呼び方しか知らないもの。 35年ほどの時間を経て、初めてわたしの知識となったもの。 なんだか、ごめんなさい。
ままごとできゅうりになったエゴノキの名前を35年後に知る (2003.04,13 市屋千鶴) そのままの歌で、もっとごめんなさいだね。
もう一つ発見したこと。 桜の色に冷たいという言葉が似合わないと思っていたということ。 ひろたさんが、日陰に溜まっている桜の花びらに触れていた。 前日の雨の名残か、その花びら達は冷たかったらしい。 冷たいと言う言葉を聞いて、なんだか桜と似合わない言葉だなと いう感想を持った。 そして、その後に浮かんだものは、母の手だった。
病院で母を見送る時、急激に冷たくなって行く母の手に触れなが ら、ほんとうに冷たくなってしまうのだなと思った。 母親という存在と、冷たくなって行くこととは、似合わない。 桜と冷たいが似合わないように。
母の手が冷たくなって行くことを理解できずにいれば良かった (市屋千鶴)
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