昨日は、わたしの母方の親戚の新年会だった。 今回は冷たい雨だった。 毎年このくらいの時期にやるのだが、雪の降りやすい時期でもあ るらしく、何回か雪の中を出向いた覚えが有る。 小田急線の本戦と多摩線に乗り、小田急永山からバスに乗って、 聖蹟桜ヶ丘まで行くのである。 家を出てから約1時間半の道のり。 帰りは9時過ぎに開場を出るので、帰宅時間は11時頃である。
新年会のメンバーは姪の旦那さんや、従姉の長女の旦那さんが加 わり、男女半々くらいになっている。 もともと女系親族がベースなので、結束力は強い。 もぐちゃんと一番年が近いのが、今年成人式を迎えた従姉の次女 である。 2人でマリオカートを楽しんでいたが、そこにわたしの甥(今年 30歳になる)が、「やってみたかったんだよ。」と言って参戦 したが、もぐちゃんにゴール前で抜かれていた。 昨年の夏に結婚した従姉の長女は、ただいま妊娠中で7月に出産 予定である。 別れ際に、「おなかを大事にしてね。」ともぐちゃんが言うと、 「赤ちゃんが生まれたら遊んでね。」と返されて、しれっとした 感じでうんと答えるもぐちゃん。 しれっとしてるのはいつものことなので、そういう子なのよと少 しフォローする。
遠くの親戚の情報も得られる機会だが、今回は秋田の従弟の長男 の話が出た。 彼は自閉症なのだが生まれてからずっとおばあちゃんが育ててき てしまったので、母親が彼を好きではないという事実。 すぐにできた弟の方がずっとかわいがられていて、母親と2人の 時にはかなり邪険にされているらしいという話。 彼の祖父母(わたしの叔父叔母)が、自分たちが死ぬときは一緒 に連れて行こうかと言うときも有るという話。 それは違うと説得したという話、などなど。 初孫だからと、母親から奪うようにして孫を育ててきたことへの 代償は、一朝一夕には支払えない。 障害のある子どもをいつまでも守ってばかりいられないのだから、 他人の手を借りながら生きるということを少しずつ教えていかな ければならないのである。 それは障害が有ろうとなかろうと同じことで、社会の一員として 1人で生きているのではないということであり、助け合って生き ることの大切さを教えることだろう。 障害がある場合は、常に家族の助けを受けている状態から、まず は家族以外の人に助けてもらって何かをすることに慣れていくと いうことが必要なのだと思う。
実際、同じ支援級に通うお母さん達は、そうやって母親から離し て野外体験するイベントなどに参加させたりしている。 いつまでも家族が生きている訳ではないのだから、自分たちが死 んだ後に子どもがどうやって生きていくのかを今から考えてあげ なくてはと思っていますとの話だった。 深いのである。
今日はこれから、ぷらむ短歌会に出かける。
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