着々と2月のカレンダーの空白が埋まっていく。 3月もぼちぼちと書き込まれている。
昨日、もぐちゃんに訊ねられたこと。 「お母さんは、何になりたかったの?」 大人になってからは久しぶりに訊ねられた事柄である。 「小さい頃は、学校の先生になりたかったなあ。」と答えた。 「どうしてならなかったの?」と、もぐちゃん。 「そうだねえ、お母さんは早くお仕事ができる方を選んだんだね。」
教師になるには、大学を出なければならず、大学には時間もお金 もかかり、それほど教師への執着が強くなくなっていたわたしは、 就職率の高い方を選んだというべきか。 教師になりたいと思ったのは、小学校の5、6年の担任がとても 良い先生だったので、同じようになりたいと思ったのがきっかけ。 そして、中学生で両親の離婚を経験した際に、全くわたしの変化 に気づかなかった担任に若干幻滅し、そうではない先生になろう と思ったこともあった。 しかしながら、高校に入って自分の能力の限界、つまり継続して 努力する才能に欠けていることに気づいたとき、自分には他人で ある生徒にがんばれという自信が無いなと思った。
努力し続けることができるというのは、一つの才能だと思う。 優れた業績を残した人が必ず持っている才能だとも言えるだろう。 わたしはもう、その才能を持っていないのだと思われる。 惰性で続けることは有っても、ずっと努力し続けるということは とても難しいことなのだ。
いろんなことで、おそらくは全力の7割くらいで生きてきたので はないかと思える。 したがって、うつなどにはならないのであろう。 精一杯がんばったりしないからねえ。 精一杯がんばって、それでも足りないと思ってまたがんばって、 その努力が報われないとき、報われないと感じたときの無力感は 並大抵ではないと想像できる。
小学生の頃は、がんばればなんとかなると思っていた。 しかし、子どもである自分がいくらがんばっても、両親のケンカ は止められなかったし、離婚は止められなかった。 思春期に、がんばってもできないことがあると思い知らされて、 転校したわたしは体育でも何でも、手を抜くことを覚えた。 がんばり続けることをやめた。 努力を継続する才能を手放したのである。 まあ、子育ては継続する努力そのものだと言えるかもしれないが。
今は、もぐちゃんに、がんばることは大切だと教えている。 しかしながら、発達障害の特性として無理なこともあるので、が んばりすぎなくてもいいよと言うことも多い。 夫のように継続できる才能を、もぐちゃんも持てますように。
|