自分の子どもの頃のことは、どこまでが本当なのかわからないも のなのかもしれない。 思い出は、思い込みの産物である場合もあって、実際に起こった ことと少し違っていたりもするのだ。 思い込みから美化することも有れば、重大さを増して覚えている こともある。
事実は事実として確固たるものだが、そこに体験した自分自身の 感情が加わってくると、少しだけ事実と異なる思い込みが生じる。 同じ事実を別の人間から見ると、また少し違ってくる。 そうやって思い出というものは作られていくような気がする。
その思い出を整理する必要はあるのか。 たとえばわたしの場合、両親の離婚に関わる様々な事実を、自分 はこう記憶しているが、母はどうなのか、姉はどうなのか。 そして、当の父親はどう記憶しているのか。 整理できるのは自分の中の思い出だけで、他の家族の記憶は照ら しあわせてみなければわからない。 しかし、姉とであってもその話を突き詰めて話したりすることは 無いし、父も母も亡くなってしまった。 姉が父に対してどう思っているかということも、あまり真剣に話 したことはないと思う。 ちらっと話したときには、自分勝手な父親を責める気持ちとあき らめの気持ちとが垣間見えたが。
父が借金を作って愛人と失踪(文字にするとなんかすごいことに なってる)しなければ、姉は山形で会計事務所に就職し、地元で 結婚していたであろう。 高校生生活の3年間を山形の下宿先で過ごした姉である。 姉にとって、山形には捨てがたいものがたくさん有ったはずだ。
わたしは、まだ中学生だったし、足を踏み入れがたい聖域のよう な場所を持ってしまったという気持ちが強かった。 生きてきた場所を捨ててしまったという意識が強かったから、捨 ててしまった場所には戻れないものと思っていた。
その辺が、わたしと姉との違いなのかもしれない。 捨てさせられたという思いと、捨ててきたという思い。 その違いが故郷の友人達とのつきあい方の違いになっているのだ ろうとも思う。 わたしは、転校したときにみんな捨ててきたのだと思い込んでい たし、一緒に卒業できていないことの重みはかなり大きいものだ と思っていた。 8年も一緒に学校生活を送ってきたのに、最後の1年が一緒かど うかで感じ方が違うのだと思う。 一緒に卒業すれば名簿に残るのだから。
東日本大震災で、一緒に学べなくなった子ども達のことも考える。 幼なじみと、親友と、学友と、再び共に学べる日が来るのか。 亡くなってしまった子ども達、生き別れた子ども達。 どうかみんなの思い出は、変わらずに楽しいものであるようにと。
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