鶴は千年、生活下手

2012年10月03日(水) 学校生活

教師との信頼関係はとても大事だ。
特に支援級においては、子どもと教師の関係は大事である。
したがって、当然、親と教師の信頼関係も同様で、普通級のそれ
よりもより一層、信頼関係を求められるように思える。

親が担当教師のことを悪く言っているようでは、子どもが教師を
尊敬するわけがない。
そう思っているから、教師からのコメントは全面的に信頼しては
いるつもりだ。
しかしながら、そこには親心というやっかいなものが働いてきて、
そのときの我が子の行動の原因は何だったのかを確認し、その上
でついつい弁解めいたことを書いて返してしまったりする。

遠足のときのことも、翌日の連絡ファイルにコメントされていて、
そのことについて息子に確認しても、前日のことなどもう覚えて
いないので、確認のしようがなかった。
「時折きーっとなっているのが見受けられました。」とか、
「他の学校の子に向かって怒鳴りつけていました。」とか。
きーっとなったのは、一緒に班行動をしてくれた、よく知ってい
る男の子の家に電話させてもらって、そういえばあの時というの
を確認できたが、他の学校の子を怒鳴りつけていたのはわからな
いということだった。

他の学校の子を怒鳴りつけたって、きっとそれは何はしてはいけ
ないことをしていたので大声で注意したとか、そういうレベルで
はないのだろうかと思ってみたり、思いのほか母のダメージは大
きかったのである。
「できないときのイライラ、他人への接し方、まだまだ課題は
 多いですね。」
と締めくくられたコメントに、思わず当たり前だよねと呟いた。

毎日のコメントに、ついつい気を回しすぎてしまっている自分に
気がついて、さらにもやもやした気持ちが強くなる。
学校に行っている間は、教師だけが便りなのである。
扱いにくい子どもというレッテルを貼られてはいないのか。
いろいろできてしまうからこそ、過大な期待をもたれてはいない
のか。
その行動全てを、悪気が有ってしていると思われてはいないか。

そんな引っかかりや無意識のイライラが、時には体調に影響する
こともあるのだろうか。
今日は朝からおなかの具合が良くない。
ただ単に、冷えただけなのかもしれないが。

学校生活において、母はほんとに無力だ。


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市屋千鶴 [MAIL]