ソフトウェア開発に携わっていたものとして、言語というと会話 などの日常生活のなかでの言葉と、プログラミング言語を思う。 わたし自身は文系人間だと思っているが、ソフト開発してました とか言うと、理系の人だと思われることが多かった。 それはわたしが現役だった頃の話だから、20年くらい前のこと ではあるが、ほんとにそういわれることが多かった。 その度に、プログラミングというのは、専用の言語で正しく手順 を記述することだから、文系の方が向いていることもあるんです よと答えていたような気がする。
確かに基本的には命令の繰り返しな訳だから、段取りと正しい言 語理解ができれば大丈夫なのである。 もちろんそれは、プログラミングという行程のことであり、それ 以前の設計や手法の検討などの際には、作ろうとするシステムの 背景にある業務内容の正しい理解と、論理的に正確で迅速な処理 を可能にするという技術の理解が必要だと思う。
こんな仕事をして来たからか、息子への説明が詳しくなりすぎた りして、幼児期の質問に対しても正確な説明をしてしまうことが 多かったと思う。 本当にその時期に必要な答えは、もっとファンタジックなもので あったかもしれないが、それがなかなかできなかった。
わたしは幼児期から学童期に質問したことには、なかなか答えて もらえなかった。 小学2年生の頃には、母が質問には答えられないからと、4年生 向けの理科の本を買ってくれた。 その本には、知りたいことがたくさん書いてあって、挿絵を含め、 とても分かりやすいものだった。 いまでもその本の内容を覚えていて、挿絵も覚えている。 なぜ、色がその色に見えるのか。 なぜ、雲が落ちてこないのか。 なぜ、月が落ちてこないのか。 なぜ、日本には四季があるのか。 などなど。
その本の中で説明していたことを、そっくりそのまま姉の子ども 達に説明したこともあった。 ずいぶん役に立ったなあと思う。
人間だから言葉以外のもので理解することも多いが、相手の表情 から感情を読み取りにくいもぐちゃんのような場合には、言葉は とても大切なものなのだ。 ちょっとの言い回しで、こちらの意図とは全く別の理解をしてし まうこともある。 そういうときは、ほとんどの場合、マイナス方向の理解になる。 だからこそ、きちんと話さなくてはならないし、別の理解に対し ては修正する必要がある。 誤解される言い回しをしてはならないのである。 だが、誤解させて悪かったねというように謝ったりはしない。 言い方が悪かったねということはある。 もっと分かりやすい言い方にすれば別の理解をする事は無かった だろうという反省である。
言葉で言い尽くせないのは、もちろん当たり前に認識しているが、 言葉が足らないと別の理解をしてしまう息子に対して、できるだ け簡潔に、しかもいい足りないことの無いようにということを、 考えずにはいられないのである。 わたしが困ったような様子でも、手伝ってとはっきり言わなけれ ば、息子は手伝うということに気づかない。 気づかないことに苛立っているくらいなら、はっきりと言えばい いのである。
これは、息子相手の場合だけでなく、夫を含む世の男性にも同様 である。 手伝ってくれない、これくらい分かってよねと、イライラするな ら、はっきりとこれを手伝ってくれというのが良かろうと思う。 夫は、「これやってもらうとうれしいな。」という言い回しが嫌 いだという。 「はい、そうですか。」という返事で返されたらそれまでだろう と言うのである。 確かに、自分の感想を言ってるだけだから、はいそうですかと返 されてもおかしくない。 だから、やってほしいことはやってくれとはっきり言えという。 息子にも同じで、こうするとお母さんは嬉しいで止めると、ただ お母さんはそう思うのかで終わってしまう。 こうするとお母さんは嬉しいからこうしてね、というところまで きちんと言葉にする事が大事なのだ。
言葉は難しい。
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