鶴は千年、生活下手

2014年03月10日(月) 39年前の受験

39年前の今日は、高校受験の日だった。
わたしの中学校から、受験する高校までは列車で50分かかり、
さらに最寄り駅まではバスしかなくて、受験日の朝に何か不都合
があってはいけないということなのか、毎年前日から高校のそば
の旅館に泊まり込んで受験していたようだ。
転校前の中学校も条件は同じで、同じ市内の中学校はどこも同じ
ように前日から泊まり込んでいたように思う。

泊った旅館は、転校前の中学校のみんなも泊っていて、思いがけ
ず顔をあわす機会があった。
どこを受験するのかとわたしは訊ねた。
同じ高校を目指していたはずのもと同級生達は、どういうわけか
皆1ランク下げた高校を受験することにしていた。
同じ高校に入ろうと言い合っていたのにと、ふと悔しくなった。
旅館でのことは、ほとんど覚えていないのに、転校前の同級生に
会ったときの会話だけはしっかり覚えている。

転校しなければ、わたしもランクを下げていたのだろうか。
それともわたしに引っ張られて志望校を変えずにいただろうか。
どちらが良かったのかは、当人にその後の生き方なので、何とも
言えない。
1ランク下げていれば高校生活は快適で成績も良いままで、当時
大学受験の大きなポイントだった内申書も良かっただろう。
が、わたしには挫折を知ることが必要だったのだと思っているの
で、あの高校に入って良かったのだろう。

旅館では弁当も作ってくれて、同じ高校を受験した仲間と一緒に
弁当を食べていた。
わたしは何とも思わずに男子二人と弁当を食べていたが、入学後
に他の女子生徒に言われたことは、一緒に受験した男子と仲良く
3人でお昼を食べていてとても羨ましかったということだった。
そういえば、同じ中学から一緒に受験した男子がいるはずなのに、
女子は1人で食べていることが多かった。
羨ましかったと言った女子は、受験の日にトイレの場所を一緒に
探したのをきっかけに、入学前から仲良くなっていた。
いつも隣のクラスで同じクラスにはならなかったが、選択科目が
同じだったり、入学当初に入った部活が一緒だったりと、縁が深
かった。
密かなファンがたくさんいた彼女である。
未だに年賀状のやり取りだけではあるが、やり取りがある。

もう54歳なのに、39年も経つのに、毎年3月10日になると
この受験のことを思い出す。


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市屋千鶴 [MAIL]