鶴は千年、生活下手

2014年03月22日(土) 別れの週に

今週は卒業式の週。
4年生の息子は卒業式は休みだった。
今週は、支援級のお別れ会もあった。
その翌日は学校全体のお別れ会。

支援級のお別れ会は毎年やっているイベントで、子ども達も楽し
みにしている。
ここ数年(息子が入学してから)は、1時間目にカップケーキを
作っていて、お別れ会でスライドショーを見ながら皆で食べる。
お別れ会は、下級生からの贈る歌があったり、贈る言葉があった
り、保護者も一緒になってのゲームがあったりと、盛りだくさん。
だが、最後のスライドショーになると、ああこの子ももう卒業な
のかという思いが強くなり、こっそり涙を拭いたりしてしまう。
今年は6年生3人で、2人が男子で1人が女子。
6年生それぞれの6年間の写真から選りすぐりの何枚かが映し出
され、わたし達の知らなかった1、2年生の頃の可愛らしい写真
や、いろんな行事のときの笑顔を写真を見ていると、感慨深いも
のがあるのだ。
男の子は、わが息子と一緒の写真も多く、いい笑顔で楽しそうに
している写真だった。
お別れ会が終わって、毎年のことだが、6年生と一緒に写真をと
らせてもらった。
来年度は、卒業式に送る側として参列するもぐちゃん。
そしてそのさらに1年後には送られる側になるのだ。
ほんとに早いものだ。
激しく吹き捲くる春風のなか、それぞれの保護者と帰っていった
支援級の子ども達。

卒業式はあいにくの雨だったが、みんなどうしていたのだろうと
透析をうけながら考えた。
狙ったように卒業式の日だけ雨だとは。
他の日はいいお天気だったのに。

わたし自身が卒業したのは、雪国である。
小学校の卒業式は、中学の制服を着て、雪の中を送り出された。
中学のときも、雪の中を送り出された。
卒業式に泣いた記憶が無い。
小学校のときは、みんなそのまま同じ中学に進むことになってい
たし、中学のときは2年しか在籍していなかったから。
高校の時も、まだ合格発表とかの無いこともあったし、行く先が
決まらないままの卒業式は、泣けるものではなかった。
わたしはほんとに泣かない子だった。
ずっと泣いたら負けなような気がしていたから。

もぐちゃんは、ものを捨てられないし、誰かと別れることがとて
も苦手なので、学童の指導員さんの転任にも泣けてしまう。
6年生のいつも遊んでくれる男の子が卒業するのも、寂しいとは
思っているが、どれもこれも引きずっているようには見えない。
大事にしていたものや本や教科書を捨てられない。
捨てるとは言わずに、リサイクルしてもらうという。
またどこかで使われるのだという安堵感。
またどこかで会えるという安堵感。
6年生の子は、中学に行っても遊びに来てくれるよと伝える。
それにもぐちゃんが中学に行くときは、3年生で待っていてくれ
るよと伝える。

いろんなものとうまく別れられるようになるとき、それは大人に
なるときなのだろうか。


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市屋千鶴 [MAIL]