登校途中に別の登校班の2年生がいろいろと問いかけて来た。 どうして支援級にいるのかとか、バカだからなのかとか、頭が痛 いのかとか、いろいろ。 その度にその班の班長さんに注意されていた。
そのときは気づかなかったが、あとで息子に聞いたらば、今年か ら支援級に在籍することになった男の子だった。 彼の問いかけは、そのまま自分に対する問いかけなのではなかっ たのだろうか。 2年生というと、そこに在籍するということの意味がわかってい ないのだろうし、また母親から説明するのも難しいのだろうとい うことは想像できる。
息子の場合は、自分でパニックを起こすことを良く分かっていた し、たくさん人がいる所では落ち着かないということもわかって いたので、そういう理由で支援級にいるのだと説明した。
彼の場合は、1年生のときは通常級だったのに、2年生になって 支援級にいることになったのだ。 その変化は自分にとっても、まわりのクラスメイトにとっても、 説明ができないことだったのだろう。 支援級といっても、情緒障害系と学習障害系とにわけられていて、 それは個別学習の仕方が違うからであり、フォローの仕方が若干 異なるからであろう。
情緒障害系の場合は、息子のようにパニックとか感覚過敏とかの 分かりやすく自覚できる状況があるから説明はしやすいかもしれ ない。 学習障害系の場合、それは通常級の多人数の学習では理解が進ま ないと判断されて、個別学習ということになるわけだから、本人 としては授業についていけないからなのだろうかと思うのだろう。 口の悪い人には、バカだからなんじゃね、とか言われるのである。
2年生の彼には、ちょっとしんどい状況があったのかもしれない。 しかし、いったん支援級の純粋な子ども達の中に入ってしまえば、 そこは安心できる場所でもあるのだ。 分からないことは分からないと言えば良い。
息子は人の気持ちは推し量れない。 人の心の機微はわからない。 誰だって、わからないことを持っている。 分からないものを持っていない人などいない。 分からないことを分からないと言える、そんな学習環境であって ほしい。
学校は、分からないことを学ぶところで、分からないことを知る ところからさらにいろんなことを学ぶことが出来るのだから。
かあさんなんか、54年も生きてるのに分からないことだらけだよ。
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