鶴は千年、生活下手

2014年10月25日(土) 辛さを減らす

今週、個別療育があった。
その前に、たまたま療育の担当の先生が、学校に参観にきていて
息子の様子も見ていった。
それらをふまえて、個別療育での話。

交流学習に行くことの辛さを、先生も母も改めて認識した。
それぞれの科目なりに困難さを抱えながら授業に参加していると
いうこと。
たとえば、音楽は好きな科目だからと、周りも困難さを想像して
いなかったが、音感が優れている息子にとって、練習中の音程の
ずれまくっている合奏などは、聞いているのが辛い雑音なのだと
いうことがわかった。
社会は地図帳が見られない辛さを、理科では初めて耳にする言葉
全てを質問したくなってしまって困ること、など。

そして、それ以前に、交流のクラスの中での居心地の悪さ。
5年生ともなると、グループが出来てきたり、自分たち仲間内の
ルールが最優先するようになってくる。
そして、それに当てはまらないものは敵対視する傾向が出てくる。
思春期のそれは一過程に過ぎないことだが、その中で自閉症児が
生活するのはかなりしんどいものと推測された。

見た目は普通と変わらない自閉症児の場合は特に、周りからの目
が厳しくなる傾向にある。
それは、彼らが抱えている困難さが見た目では想像できないから
なのだが、ただの変な子としてからかいの対象になる場合が多い。
ちょっとしたからかいの言葉も、彼らには言葉通りのストレート
な誹謗にしか聞こえない。
とてもバカにされていると思うらしい。
その気持ちは怒りとイライラになり、他の場面で突出したりする。

臨床心理士の先生も、母も、君が辛いと思うことは無くしてあげ
たいと思っていることを伝え、あれが出来ないから辛いと思うこ
とはかっこ悪いことではないのだからと、声をかけながら話をし
てもらう。
思い出している最中はやはり辛そうであり、そんなにしんどかっ
たのかと、かわいそうになる。
参観していた音楽の授業中に、息子がどんな様子だったかを聞い
て、やはりそんなにしんどかったのかとかわいそうになる。

試練が乗り越えるものだと、わたしなどは自分で乗り越えてきた
タイプの人間だから、乗り越えられないものかと思ったりもする。
そして、試練を自分の力で乗り越えることは大変優れていること
だと、一般的には考えられていると思う。
しかし、息子の場合は、長い時間をかけて考え方を修正しながら
前向きに対応する術を身につけていかなくてはならない。
乗り越える方法が慣れであるなら、それはかなり難しい。
感覚的な困難さを慣れで解消できることは少ないからだ。
対人関係的な部分であれば、こういわれたらこう思えばいいと言
うこともできるが、地図帳を見て頭が痛くなるのは直せない。

学校の支援級の担当教師も、たぶん毎日がいっぱいいっぱいなの
だと思うとの感想を持つくらい、学校での息子は辛そうな顔をし
ていることが多いのだろう。
担当教師とも相談の上で、交流に行けない場合の国語や算数以外
の科目をどう進めていくか、決めていかなくては。

理科は社会は、教科書とプリントがあれば、母が教える。
小中学校の間くらいは、教科書さえあれば、なんとか教えられる
と思う。
だから、安心して支援級にいなさい。


 < 過去  INDEX  未来 >


市屋千鶴 [MAIL]