鶴は千年、生活下手

2015年01月16日(金) 昨年の大雪

昨年の日記を見ていたが、あの大雪のことを書いていない。
どうして書かなかったのだろう。
へてへとだったからだったか。

2週続けて雪が降った。
最初の週は、土曜日に雪が降ったので、雪が降っている中を病院
まで歩いた。
雪が降っている最中は比較的楽だった。
しかし、翌週は金曜日に大雪が降り、土曜日は雨になっていた。
雨で重くなった雪を踏み越えて病院に通った。
家の前の道は、新聞配達の人の足跡があるだけだった。
男性の足跡だから、わたしの歩幅とは全くあわないので、役には
立たなかった。
大きな通り(車が通りそうな)までの100メートルばかりの道
を10分近くかけて歩いた。
足を持ち上げるのが大変な雪道だった。
そのあとも、病院までの道のりは長く、結局30分以上かかった。
わたしは、病院にたどり着いた5人目の透析患者だった。

送迎をお願いしている人たちは、車が家の前まで入って行けない
ので、どうしようもなくていた。
病院では看護師さんたちが一人一人電話をかけて、通えるかどう
かを確かめていた。
その日、通えない人たちの為に、翌日の日曜も透析室を開けて、
透析することになっていた。

こんなことを思い出したのは、14日の水曜日の歌会始を見てい
たからだ。
長野県の方が、大雪の日に雪をかき分けて1本の道を作り、それ
で世の中と繋がったという歌を詠まれていた。
そうだよな、うちの前程度の雪でさえ、通りに出る為に一苦労し
たのだからと思った。

そして、あの日、こんなこと、身体障害者がする事じゃないよな
と思いながら雪を踏み越えていたことを思い出した。
まさしく、命がかかっているのだけれど、普通の人でも大変な道
をよく歩いて行けたなあと感心するのだった。
雪国育ちに感謝しなくてはと。


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市屋千鶴 [MAIL]