昨年の日記を見ていたが、あの大雪のことを書いていない。 どうして書かなかったのだろう。 へてへとだったからだったか。
2週続けて雪が降った。 最初の週は、土曜日に雪が降ったので、雪が降っている中を病院 まで歩いた。 雪が降っている最中は比較的楽だった。 しかし、翌週は金曜日に大雪が降り、土曜日は雨になっていた。 雨で重くなった雪を踏み越えて病院に通った。 家の前の道は、新聞配達の人の足跡があるだけだった。 男性の足跡だから、わたしの歩幅とは全くあわないので、役には 立たなかった。 大きな通り(車が通りそうな)までの100メートルばかりの道 を10分近くかけて歩いた。 足を持ち上げるのが大変な雪道だった。 そのあとも、病院までの道のりは長く、結局30分以上かかった。 わたしは、病院にたどり着いた5人目の透析患者だった。
送迎をお願いしている人たちは、車が家の前まで入って行けない ので、どうしようもなくていた。 病院では看護師さんたちが一人一人電話をかけて、通えるかどう かを確かめていた。 その日、通えない人たちの為に、翌日の日曜も透析室を開けて、 透析することになっていた。
こんなことを思い出したのは、14日の水曜日の歌会始を見てい たからだ。 長野県の方が、大雪の日に雪をかき分けて1本の道を作り、それ で世の中と繋がったという歌を詠まれていた。 そうだよな、うちの前程度の雪でさえ、通りに出る為に一苦労し たのだからと思った。
そして、あの日、こんなこと、身体障害者がする事じゃないよな と思いながら雪を踏み越えていたことを思い出した。 まさしく、命がかかっているのだけれど、普通の人でも大変な道 をよく歩いて行けたなあと感心するのだった。 雪国育ちに感謝しなくてはと。
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