鶴は千年、生活下手

2015年01月26日(月) いい母親という名のプレッシャー

いい母親になろうと思えば思うほど、離れて行くように思う。

44歳で初めて母親になったわたしは、経験豊富な40代の母親
に育てられた子どもはちゃんとしているべきと思っていたし、そ
う見られると思っていた。

最初のつまずきは、母乳で育児。
出産時に600CC以上の出血があったので、かなりひどい貧血
状態だった。
母乳は血液から作られる。
当然、貧血のわたしからは満足に母乳は出なかった。
病院にいる間は、なんとか絞り出しながら与えていたが、帰宅し
てからはほんとに出ていなかったらしく、ミルクと混合にせざる
を得なかった。
母乳、母乳と言われている時代、ミルクに頼らねばならないのは
なんだか母親失格の酔うな気がした。
しかし、ミルクを飲んだ息子は、よく寝てくれて助かった。
それに、4週間に1回の通院時に息子を預ける為には、ミルクの
方が都合が良かった。
産後の初乳だけでも与えことが出来たのが、救いだった。

息子が2歳になるかならないくらいの頃、返事をしてくれないと
息子に腹を立てていた。
呼ばれたら返事をするという、わたしが基本的に教えられてきた
ことが出来ないのが許せなかった。
ひどく怒った。
あとで思えば、息子にわたしの呼び声は届いていなかったのだが。

そうして、怒り続ける毎日。
ちゃんとしつけられていない子どもだと思われたくない。
それは、すなわち、自分の見栄の為だった。
息子の状況や、怒られているときの気持ちは、考えていなかった。
息子が発達障害だとわかったのは、比較的遅めの年長さんのとき。
それまでは落ち着きの無い息子に、手を焼いてばかりだった。
どこでもエレベーターに乗りたがり、必ずボタンを押したがる。
どんな状況でも押したいのだ。
それは、他人の眼を意識することの多い毎日だった。

発達障害だと分かって、正直ほっとした。
息子の落ち着きの無さやこだわりの強さは、わたしのしつけが悪
いからではないのだとわかって、ほっとした。
しかし、同時に息子が他の子ども達と同じようにはしていられな
いという現実を、直視することでもあった。
保育イベントの間中、どこかに行かないように保育士にずっと手
を握られてむずがっている息子を見て、涙が出そうだった。

いい母親って、なんだろう。
誰から見ての、いい母親なんだろう。
他人の眼はやはり気になるが、そんなこと気にしなくてもいいと
教えてくれる息子の存在は大きい。
息子が発達障害児でなかったら、たぶんわたしはもっと他者から
の評価を気にする見栄っ張りな母親になっていたと思う。

息子をそのまま受け止めるのは難しかったが、母親の理解次第で
息子の落ち着き方が違ってくることにも気がついた。
母親のイライラが、子どもの情緒にストレートに影響するのだ。
怒ってしまったときは、あとできちんと理由を説明し、仲直りを
するのが我が家のルール。
焦らず、怒らず、ひと呼吸飲み込んで、息子に向かう。


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市屋千鶴 [MAIL]