家庭の問題は、相談する方もされる方も難しい。 自分の家族のことを相談するには、そもそものところから話さな くてはならないし、相談される方はどこまで踏み込んでいいのか を迷うからである。
往々にして女性は、相談といっても話を聞いてもらうこと自体が 目的になっているような場合が多く、ひたすら話を聞く。 相談する方は、胸に抱え込んでいるものを吐き出したいのだ。 心情の吐露である。 こうしたいのだがどうしたらいいか、ではなく、こうだったのだ、 こうなのだ、を言いたいのである。
さらに家族の問題が難しいのは、正論だけで割り切れないからだ。 理論的に考えれば、こうすればいいということはわかっているの に、心情的にそれが出来ないで悩むのだ。 そして、自分はこうしたからあなたもこうしたらいいよと言われ ても、事情が違うと思ってしまうこと。 それでも相談せずにいられないのは、抱え込むには一杯になり過 ぎてしまったからではないのか。
わたしは、両親の離婚に際しては、誰にも相談しなかった。 相談してどうにかなるものでもないと悟っていたからだろう。 両親の離婚も、転校も、そうするしかないのだからそうするだけ のことで、ことさらに悩んだりすることもなかった。
だが、その時期のあれやこれやがのちの自分自身の行動にとって、 かなり影響を与えていたことは、あとになってみればわかる。 苦しいときには苦しいと、悲しいときには悲しいと、寂しいとき には寂しいと、言える相手がいることは大事なことなのだ。 人は、知らず知らずに我慢していたことが、自らの行動を左右し てしまうことがあるから。 その行動は、たとえば恋愛だったり、夫婦関係だったり、子育て だったりに出てくる。
自分の家族の問題は、自分自身だけでなく、自分の後に続くもの にも影響することになるので、自分自身の段階でなんとかしたい ものだと思うのだが、どうだろうか。 それは、家族の問題を解決しろということではなく、その問題に 向き合って素直に気持ちを打ち明けられる相談相手を持つことな のかもしれない。
自分の気持ち、わかっているだろうか。
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