鶴は千年、生活下手

2015年05月10日(日) 母の日って

母の日だが、隣の部屋で父と子と子の友人が三人でデュエル中だ。

母の日。
わたしが子どもの頃は、ことさらに「母の日」や「父の日」をと
りあげることもなく、あまり感心がなかったように思う。
「母の日」だからと、何かプレゼントしたりもしなかった。

母の日をはっきりと意識したのは、上京してからだ。
姉の家族と同居した母に、何か贈ったような気もしないでもない。
母が亡くなった翌年の母の日は、お墓参りをした。
お供えする花束には、白いカーネーションが入っていた。
母が亡くなってから、母の日を意識したのは、姉が最初のくも膜
下出血の手術をして、退院した頃だった。
母の日を過ぎた頃が退院だったが、手術の為に坊主頭になってい
た姉に、姉の子ども達と一緒に選んだ帽子をプレゼントした。
2回目のくも膜下出血の手術のときは11月だったので、退院は
12月。
やはり坊主頭の姉の為に、暖かそうな帽子を選んだ。

わたしが母親になって思うに、母の日だからといって何か欲しい
わけじゃないなということだ。
学校では、母の日にお母さんい贈るカードを作ったりするが、そ
こには日頃の感謝と大好きだよと言うひと言が添えられている。
もうそれで十分なのだ。
大好きだよと、6年生の息子に言ってもらえるなら、それで。

夫が自分のことを好きでいてくれることはわかっているし、自分
も夫に子とが大好きである。
だから、夫には特別にそう言ってもらいたいというわけでもない。
自分の気持ちをうまく表現できない息子だからこそ、大好きだと
表現してくれることはうれしいものだ。

今日は、お昼ご飯を外で食べて、その後は夫と息子は散髪に行き、
わたしがさきに帰宅した。
帰宅すると、いつも遊びにくる中学生から電話があったので、あ
と30分くらいで帰ってくると思うと伝えた。
ちょうど30分くらいして、夫と息子が帰宅するのとほぼ同時に
遊びにきた。
そして、デュエル中というわけだ。

母は、まったりとこうしてパソコンに向かっている。
穏やかな母の日である。

 母の日にほおっていてくれること口には出さぬ感謝と思う(市屋千鶴)


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市屋千鶴 [MAIL]