母の日だが、隣の部屋で父と子と子の友人が三人でデュエル中だ。
母の日。 わたしが子どもの頃は、ことさらに「母の日」や「父の日」をと りあげることもなく、あまり感心がなかったように思う。 「母の日」だからと、何かプレゼントしたりもしなかった。
母の日をはっきりと意識したのは、上京してからだ。 姉の家族と同居した母に、何か贈ったような気もしないでもない。 母が亡くなった翌年の母の日は、お墓参りをした。 お供えする花束には、白いカーネーションが入っていた。 母が亡くなってから、母の日を意識したのは、姉が最初のくも膜 下出血の手術をして、退院した頃だった。 母の日を過ぎた頃が退院だったが、手術の為に坊主頭になってい た姉に、姉の子ども達と一緒に選んだ帽子をプレゼントした。 2回目のくも膜下出血の手術のときは11月だったので、退院は 12月。 やはり坊主頭の姉の為に、暖かそうな帽子を選んだ。
わたしが母親になって思うに、母の日だからといって何か欲しい わけじゃないなということだ。 学校では、母の日にお母さんい贈るカードを作ったりするが、そ こには日頃の感謝と大好きだよと言うひと言が添えられている。 もうそれで十分なのだ。 大好きだよと、6年生の息子に言ってもらえるなら、それで。
夫が自分のことを好きでいてくれることはわかっているし、自分 も夫に子とが大好きである。 だから、夫には特別にそう言ってもらいたいというわけでもない。 自分の気持ちをうまく表現できない息子だからこそ、大好きだと 表現してくれることはうれしいものだ。
今日は、お昼ご飯を外で食べて、その後は夫と息子は散髪に行き、 わたしがさきに帰宅した。 帰宅すると、いつも遊びにくる中学生から電話があったので、あ と30分くらいで帰ってくると思うと伝えた。 ちょうど30分くらいして、夫と息子が帰宅するのとほぼ同時に 遊びにきた。 そして、デュエル中というわけだ。
母は、まったりとこうしてパソコンに向かっている。 穏やかな母の日である。
母の日にほおっていてくれること口には出さぬ感謝と思う(市屋千鶴)
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