カタルシス
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2002年11月02日(土)  祭りだ 祭りだ♪ 

この連休が弟の通う美大の学祭だと聞き、たまたま休みだった父を誘って遊びに行くことにしました。実はワタクシ学祭だの産業祭だのをひっくるめての「祭」好きでございまして。でも一人で行くのは寂しいので無理矢理道連れを作ったという訳ですよ。
当の弟は当番の日ではなかったため行きたがりませんでしたが 私と父が行くのに本人が家にいるというのはいかがなものか、といういきさつで弟は仕方なさそうに案内を引き受けてくれたのでした。
そんな訳で父・弟・私の3人で多摩の奥地を目指すことになりました。

自宅から車で多摩モノレールの乗り場へ行き、多摩センター駅で京王線に乗り換え 橋本駅から今度はバスにのって山道を上る旅です。この道のりを毎日往復するのはすごい労力だな…と感心することになるのですが、その前に私がまんまと引っかかってしまった場所がありました。そこは

多摩センター

汗ばむくらいの陽気、今日は連休の初日です。この日駅前に真っ直ぐ伸びる通りでは連休を使って市の産業祭とフリーマーケットが催されいてなかなかの賑わいでした。『パルテノン多摩』という公会堂?みたいな施設と駅を結ぶ 煉瓦ばりのストリートにはデパートやスーパーマーケット、カフェやファーストフード店が並び、途中サンリオピューロランドに続く横道があったりもするので家族連れやカップルが似たような比率でのんびり歩いている感じです。
そしてこの産業祭では路上ミュージシャンを対象にしたイベントがあり、会場内の各所で時間を決めて複数のミュージシャンが路上演奏しているところを一般客に紛れた審査員が評点していき、最終日にグランプリを決めるというものでした。
実はこのイベントにN.U.さんがエントリーしているのを知っていたので、会場で案内図をもらってみたところ 3回中1回は丁度良い時間と場所で演奏するらしいことが解りました。

おお?ラッキー!

時間が合わなさそうであれば諦めて通り過ぎるつもりでしたが、本当にたまたまタイミングの良い時間の演奏が これまた都合の良いことに京王線の駅の真ん前で行われることになっていたのです。
早速 父弟に交渉し、1時間程この場に留まらせてもらうことを許してもらいました。

路上ライブは30分あるかないか程度の時間で、道行く人の足をいかに留めるかが目的なので 得意の曲・ウケの良い曲を入れ替わり何度も歌っていました。横浜が活動の拠点である彼らのファンは やはり横浜近辺に在住の人が多いようで、この多摩の奥で行われるイベントに対して「遠くて行けません」「時間が間に合いません」等の書き込みがHPの掲示板に連なっていましたが、午前11時のこの回の演奏を見に来ている常連客がちゃんと数人集まっているのが驚きです。
私は何となくその情熱的なオーラに馴染むことができず、通りの向かいにあった花壇に腰掛けて 道行く人々越しに演奏を眺めていました。

私が彼らの演奏を見ている間、父弟の2人は出店で食べ物を買って食べたり フリーマーケットを巡ったりして時間をつぶしてくれ、待ち合わせた時間に集まった時にはそれぞれ手に荷物をぶら下げていました。弟などはフリマで値切ったという寝袋2つを両脇に抱えていて
「お前(これから学祭行くのに)それどうするんだ?」と父に呆れられているというね。いやはや、良い家族を持ったことだわ(笑)
演奏の後片づけを始めたN.U.さん達をしり目に我々は京王線の改札へ向かいます。

15分ほど電車に揺られ、着いた先は京王橋本駅。
普段弟は八王子からバスで通学しているので、このルートはいつもの通学経路とは違う道なのですが、一番時間がかからないコースということで橋本駅から出ている大学行きのバスに乗ることにした訳です。しかし「一番時間がかからないコース」にも関わらず、所要時間は ばっちり2時間…
私も学区外の学校に通っていて地元の学校に通う人よりは通学時間が長い学生時代でしたが、それでも1時間ちょっとで済んでいましたし、何より向かう先は都心の方角だった訳で。ところがここときたら車窓を横切る風景は実にのどかで自然の色彩は目にやさしく… なんて言えば聞こえは良いですが、仮にもデザインなんて時勢のものを教える学舎が こうまで刺激の少ない土地にドンと構えていて良いものなのかどうか。(^^;)
非常に非常に疑問を感じる部分です。
が、
まぁ私が通っている訳ではありませんし、弟が選んだ場所をけなすのもナンですし「毎日の道のりご苦労さんだねぇ…(苦笑)」とだけコメントしたら、遅刻の常習犯である弟は微妙な笑顔をつくって「でしょ?」と応えました。

「すご〜い 眺めだね〜…」
バスは目的地に着きました。

校門をくぐり坂を上がると、大きな校舎が荘厳にそびえ立っています。空は青く、たゆたう雲の輪郭がクリアに見えました。そして視線を下げれば足下に広がる街並み…
おそらくこの学校がここいらで一番の高台にあるのでしょう。街どころか普段はまず見ることのない「地平線」なんてものまで見渡せる絶景がそこにありました。当然ながら敷地内には教室、実習室の他 体育館や講堂、食堂に売店と一通りの施設が揃っています。その小さな街を思わせるような周到さが 極近辺を囲む空き地や整備中の道路と相対していて、天空にポッカリと浮かんだ須彌山のような 不思議な違和感を漂わせていました。

「僕ちょっとこれ(寝袋×2)置いてくるから。ついでに出店の様子も見てくるね。」
弟は学校に着くなりそう言って私と父を置いて行ってしまいました。おいおい、案内してくれるんじゃなのかよ。(^^;)
無理を言ってついて来てもらった手前 そうそう文句も言えず、父と二人 美大の学園祭を巡ることになりました。

弟たち1年生は特に作品展示があるわけではないそうで、共同製作の発表だとかクラスで企画する出し物・出店等の当番のために 夜遅くまで“学祭の準備”をしていたらしいのです。なので展示を見るにもイマイチ目的が定まらず「何見る?」といった状態。取りあえず緊急会議の結果、弟が所属する漫画研究部の部展示と 父が興味を示した写真の展示、私が見たかったグラフィック展示の3点にターゲットを絞りました。

『漫画研究部』
どこの学校にもあるであろうこの俗っぽい活動集団も 美大生で構成されているとなればレベルは高くて当たり前な訳で。絵の上手さはやはり半端ではありませんでした。が、ただ絵が上手けりゃ良いってもんでもないんだなぁ… と感じる部分も見えたりして、「魅力的な」「個性的な」と冠が乗せられる人となると そこらじゅうにいるという訳ではないのだというのが解りました。
本当、上手いは上手いんだよ相当。でもねぇ…(黙)

それから父リクエストの写真を見て回って、最後にグラフィック専攻の作品を見に行きました。
展示物を見て「グラフはうちの(美大の)花形なんだ」という弟の言葉の意味が解った。一発で解った。
他の部屋とはオーラが違って。パワーが違って。見ていてワクワクするものばかりが並んでいました。それは私が立体よりも平面に興味があるとか ディフォルメされたイラストが好きだとかいうのも 反応してしまう要因ではあったと思うけれど、例えばさっき見た漫研とは全然違うものであったのは確かでした。
ここは「魅力」と「個性」が満載で、上手い・下手を感じるよりも先に好き・嫌いでの判断をしてしまう、技術はもちろんだけれど それ以上に惹き込む力を発しているモノ達が 威風堂々たる様相で並んでいるのです。

まさに圧巻。

大学生ってことは、ストレートで入っていれば20歳前後の若者のハズで。
留年・浪人していても 自分よりは若い人がほとんどだろうと、そう思ったら「世の中にはすごい人達が沢山いるんだなぁ…」と 間抜けな口を開けてみせるしかなかったのでした。

気が付いたらグラフィックのブースで展示即売していたカレンダーやポストカードの類を数点買ってしまっていて、気に入った作家(敢えてこう呼ぼう!)を見つけては「あとでHPを覗いてみよう!」と置いてある名刺に手を伸ばします。やたらめったら歩みの遅い私に父は半ば呆れ顔。ときどき小走りで距離を縮めて付いて行き、はぐれぬようにと視線だけはこまめに父を捕らえていましたが 気になるブースに来るとやっぱり足を止めてしまうのでした。これはもう性分です…(苦笑)
父も二十んー年 近くで見ていた娘のことをそれなりに理解してくれているようで、急かすような言葉も投げず気長に付き合ってくれていました。

うおー、こりゃ勉強になるわい。



さんざん歩き回ってお腹が減ったので、飲食の出店が集まる中庭に出て食べ物を物色。弟のクラスの店でケバブを買って歩き食べ、茶屋に入りモツ煮とビールを注文して父一服。その間にクラスの出店にいなかった弟の携帯にコールをかけるも電波が悪くつながりません。

……。確かにここ山ん中だけどさ(--;)

取りあえずダメ元でメールを送っておいたら しばらくして返信が届きました。
「部の出店を手伝うことになったので先に帰って下さい」
あらま、今日は当番じゃないハズなのに。付き合わせて悪かったなぁ… と苦笑しつつ、一休みした後 父と二人でまた長い道のりを逆戻りしたのでありました。


モノレールを降りて車に乗る前に駐車場を拝借していたスーパーで夕飯の買い出しをして帰宅、そのご本家へ行って外出している母に代わってボチボチ夕飯の支度をば致します。皆の帰りを待って一家団欒… のはずが、母や妹が帰ってきているのに一向に戻りの連絡がない弟。何となく漂う予感。

RRRR…

本家の電話が機械音を発し、いち早く受話器を取った母の顔が 苦い笑みを浮かべました。
「今夜は友達と学校に泊まるそうよ」
何となく思っていたことだったので“やっぱり?”という顔を その場の全員がしていたようです。

「それにしても11月だっていうのに寒くないのかしら」
という母の問いに、私と父は顔を見合わせて

「万全の対策で臨んだようですよ」

と、昼間の彼の戦利品を ニヤリと思い出したのでした。


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