カタルシス
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今日は母校の文化祭に行く日。 母校というのは最終学歴欄に記す専門学校じゃなく、その前に通っていた都立高校のことなんだけれど この学校にはデザイン科っつーのがあって私はその科に3年間在籍していたんだな。ちなみに3年間皆勤だったの、スゴイでしょ(笑) 母校と呼んだり皆勤だったりってところで気付く人もいると思うけど、私はこの高校で過ごした時間が大好きで、卒業してからも文化祭や卒展には極力足を運んでいるんだ。普通科と違って各科の教員は特殊な技術を教える人材なので異動が少なく、学校に行けば未だに“私を知っている先生”が誰かしらいた。だから何かの時には挨拶に行こうと思うし、異動になって既に籍を置いていない先生でさえも文化祭の時には“元教員”として来校していることが多いから、そんな人達に会えるのも年に一度のことと思えば貴重な機会になる訳だ。
毎年この時期になると高校時代の友人数人と示しを合わせて文化祭に訪れる。その友人達も先生に合うのが目的だから大抵午後もゆっくりとした時間にばらばらと集まって、帰りに食事や飲み会になだれ込むというのが定番のコースだった。
でも、私の動きは少し違う。
皆が面倒くさがる“展示見学”を毎年している。なので皆よりも少し早く行ってデザイン科を中心に興味のひかれる科の展示を見て回る。見応えのある年もあれば そうでない年もあるが、自分の後輩がどんな課題に奮闘しているのか どんな作品を生み出しているのかを見るのが楽しいんだ。誰か一緒に回ってくれる人があったならきっと、ああでもない こうでもないなんて言いながら当時の自分達を懐かしむのだろうけど、残念ながらそんな酔狂に付き合ってくれる友人はここ何年もいやしない。忙しい時間を過ごしている人がほとんどなので そんな時間を惜しく思うのだろうが、ちょっぴり寂しく感じる気持ちも解って欲しいね。
まぁ、強制して付き合わせても意味がないと解っているから 毎年一人で見て回ってんだけどさ。
今年の展示も一人で見た。 個人的感想を言わせてもらえば、年々元気がなくなっている気がする。何がって? 作品が。 デッサンは下手だし(自分も大して上手くなかったし大嫌いだったけど)、斬新さを感じる作品は見受けられなくなった。 良く言えば「無難」 悪く言えば「パッとしない」 それがここ最近のデザイン科の印象だ。
我が母校には全部で5つの科があり、デザイン科の他には マシンクラフト科(機械科)、アートクラフト科(金属工芸科)、インテリア科(室内工芸科)、グラフィックアーツ科(印刷科)となっている。近年特に感じるのはデザイン科の低迷とグラフィックアーツ科の活気。
パソコンの普及が進んで授業の内容や作品の方向性がD科とG科はかぶり気味で、自分らの頃は“手”で描き“頭”で作る事から意匠を学ぶD科と印刷機の扱いや編集作業といった業界の裏方技術を学ぶG科、という認識がされていた2つの科だったけれど、パソコンでの作業がメインになってくると D科は“手”と“頭”を使わなくなってくし、G科は編集のみでなくデザインの域まで手を伸ばしていくしでね。 だから卒業後に目指す職業ってのが多分 どちらも同じになってんじゃないかな。
デザイナーなんでしょ、どっちの科も。
まぁ、今の時代 パソコンと自分の身ひとつあればある程度のことは出来ちゃう世の中だけどさ。版下つくるのも写植打つのも色指定すんのも パソコンでデータ作っちゃえば全部省ける作業だから。 G科で習うことのほとんどがパソコンに持ってかれちゃってんだよね。そうなったらG科はそのパソコンを使う術を身につけるしかない訳で。
じゃあD科はどう変わるんでしょ? やっぱりパソコンの技術を追っかけるのかいね。それじゃG科と同じじゃん。それしかないのかー? 技術は確かにパソコン追究で良いと思うよ、だって世の中がそう進んでる。でもパソコンが使える=デザイナーか? じゃあオペレーターとかトレーサーって何。 手描きの原稿渡されてパソコンのデータに直す作業する人っているじゃん、いるんだよ。その人はデザイナーにはならないよねぇ。パソコンは使えても生んでる訳じゃなくて 写してるだけだもんね。
だからさ、パソコンなんか使えなくてもデザイナーにはなれるけど、パソコンが使えるからってデザイナーになれるわけじゃないってことじゃない。
さて、閑話休題。 だったらD科で習うのは何か。教えるのは何か。育てるのは何か。
わっかんないよねー そんなの(笑)
だって解ってたら実践してるでしょうし。 実践してたらG科と違うD科でいるだろうし。 「パッとしない」なんて有り得ないだろうし。
へへ。 私がこの学校を受けようって決めたのは中3の11月。遅いでしょ? それまでは近所の普通科高校に行けばいいや〜って適当に思ってたの。本当の意味で行きたいところがなかったからね。
でも11月、私はこの学校の文化祭を見に来た。
世界が変わったんだよねー まさに。 何カ所か回った普通科高校の文化祭とはまるっきり違った文化祭だったから、見る物全てが新鮮で。一緒に行った同じ学校の友達と うわうわ言ってた気がする。自分が未熟者過ぎた所為もあるけど、その時の生徒の作品自体が今のレベルとは違っていたと今でも思う。とにかくすごいパワーで、ドカドカ殴られてるみたいなのにグイグイ引っ張られてるようでもあって、私は矢も楯もたまらず即行で受験の第一希望を変更したんだ。
それからはちょっと真面目に勉強したね… 特に内申が悪かった訳でも、偏差値が足りなかった訳でもなかったんだけど、何しろ特殊な学校だもんで競争率が高くてさー(苦笑)絶対落ちたくなかったからね、頑張ってみた。経済的な理由から滑り止めも受けられなかったし(笑) 毎月の模試で「合格率90%」を保っていても落ち着かなかったもんだ。だって願書出した翌日の新聞に「倍率8.8」とか出てるし。都立の普通科高校が2〜4倍な時にこの数字じゃん、ビビったねー本当。 「滑り止めもナシに無謀か?!俺!」 とか何とか焦ってみても始まらないし、真剣に成らざるを得なかった訳ですよ。
お陰様で入試と内申合わせて3番目(推薦で入った10人を除いて)の成績で合格させてもらったけど、実技の教科に3番もへったくれもなくて、絵が上手かったり ものづくりに長けた生徒の方が何倍もカッコ良く見えてて、入学してしばらくは課題以外の絵を同級生に見せられなかったんだよね。そのくらい周りが上手かったんだよ。
今、こうして在校生の作品を見て あの時のパワーを感じるか?と言われたら「NO」と断言するね。それは私の目が肥えたとか以前に
間違いなく弱まってるいるから。
殴る力も 引っ張る力も 今目にしているもの達には足りてないから。
あの時見たのがこの文化祭だったら、私の進路は今の方向に向いてなかっただろうな…(苦笑)
フロアを一回りして科務室に向かうと、当時の担任がニコニコと立っていた。懐かしい顔がいくつか傍らに揃ってる。 「向こうの休憩室でお茶でも飲みましょう」 以前の教え子を引き連れて廊下の奥へと進む後ろ姿に 私もついて行った。
私 「せんせー、今の子(生徒)達って元気?」
先生「んー? そうねぇ。あなた達よりは大人しくてお利口よ。」
皆「「それ、ここじゃ誉め言葉になんないスねぇ」」
先生「そう? ふふ…」
相変わらずニコニコとしてる40代のこの女性教師は 昔っからニコニコと鬼畜な台詞を言ってのける人だった。
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