この2日間ほどストレスが溜まる様な問題に 悩まされてムシャクシャしてたので、 忙しい間をぬって合気道の稽古に行ってきました。 何だか久しぶりで体が不器用に動くのが自分でも 可笑しかったですが良い汗がかけてサッパリしました。 体というのは使ってないと動かないものですね。 私達が武道に励むのは、精神的な「道」としての 修行もあるのですが、私は安易に精神修養を口実にしては ならないと考えています。武技を一定のレベルまで上げて はじめて到達する境地や感覚というものがあり、 なかなか口では説明しにくいものがそこにはあります。 私も、まだまだ努力が足りず、頭では想像しているところへ 時々偶然のように到達するというか、まぐれの様に出来たり 出来なかったりを繰り返しています。 仏門とは違う「武の道」は「術」の習得への努力無しには 進めない、命のやり取りを超えた世界。そんな世界で得るものを 求めた道なわけです。「守・破・離」。古来から伝わる技を習得する「守」 それを極めて質的な転換が出来る域に達する「破」。 師匠を超えていく「離」。 そんな道です。 昔ある武道の先生からこう言われました。 「正義無き力は暴力。しかし、力無き正義は無力」 「命のやり取りを超えたところに本当のやさしさがある」 実践の理論なんですね。特に古武道は。
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