六本木ミニだより
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2002年02月25日(月) 『コラテラル・ダメージ』〜無言でもモノは語れる〜

 『アディクションと家族と映画』のサイトを、近いうちに閉鎖しようと思っています。
 理由はですねえ、この「エンピツ」のあまりの使い良さに、あちらの更新が面倒くさくなってしまったのですよ。エンピツだと、テキストに打ち込むだけで、勝手に索引を作ってくれるんですもの。向こうの面倒くささは、感想を書くことより、索引を作ることなんです。で、こちらの日記の中に移行させてしまうことにしました。
そういうわけで、以下は『コラテラル・ダメージ』の映画評ね。 

* * * * * * * * * * * * * * 


 9.11のテロ事件直後の公開が決まっていたおかげで、公開延期になってしまったこの映画。私は、公開延期になったのは、この映画が、「アメリカ側の正義」を一方的に描いた映画だからだと思っていた。この映画はシュワちゃん主演でもあるし(偏見?)、そういう一方的な正義をバラまくのが、この時期、やばいと判断されたのだろうと思っていた。
 しかし、私は甘かった。

 この映画は、アメリカ側、テロリスト側(コロンビア・ゲリラだ)、双方の「事情」を、平等に密に描きこんだ映画だったのである。
 この映画は、かなり、「弱者」の視点に立ってつくられている。まず、国の利益のために自分の家族が犠牲になったことを無視されてしまった(こういうのを「コラテラル・ダメージ」というのだそうだ)ある消防士を、国に対する弱者、という視点で描いている。でも、シュワちゃん演ずるところの消防士は、もちろんそれであきらめたりなんかしない。復讐を誓うべく、単身、コロンビアに乗り込んでしまうのだ。

 ところが、潜入したコロンビアで、彼は、テロリスト側の「事情」を見ることになる。彼らにも家族があり、彼らもアメリカからの攻撃で傷ついており、彼らも幸せになる権利を行使したいと思っていることを、次々まのあたりにしていくのだ。最後にはもちろん、主人公は、テロリストと対決するのだけれど、この映画のオチでは、シュワちゃん演じる消防士は、なにも「アメリカの英雄」になりたかったわけではないのだ、ということがよくわかる。
 
 そういう映画が、テロの影響で公開延期になってしまったのだ。

 ということはですよ。この映画が公開延期してしまったのは、テロ当時「イマジン」が放送自粛してしまったのと同じ理由ではなかったのだろうか?
 それは、誰に配慮したものだったのだろう?

 この映画の宣伝はそろそろ日本でも始まっているようだが、上記のような話って、まったく聞こえてこないでしょう。シュワちゃん本人でさえ、テロの際の救助活動に携わった消防士や警察官を称える発言しかしない……そうか、そうだったのか。うんうん。

 アメリカで現在公開されている本作は、すでに一位の座を獲得している。アメリカ人だって、「自由と正義」という理念の前に、コチコチに固まった人ではないんじゃないか、と、私は思う。彼らにも感情があるし、彼らにも「事情」を理解する頭はある。ただ、そのことを誰も語りはしない。安全ではないからだ。でも、この映画が、批判されずにヒットを続けるなら、私はこの映画を支持した人たちのことを、とても好きになれそうだ。

 なーんだ、アメリカ人だって、日本人といっしょじゃん。日本でも、「忠臣蔵」や「曾根崎心中」などは、登場人物の名前を変えて、「フィクション」として、日本人の間に語り継がれてきた。この映画だって、「テロリスト側にも事情がある」なんて、一言もいっていない。でも、どう見ても、そういうふうに見えるようにできている。そして、そういう宣伝を誰もしない。

 世の中には、沈黙に沈黙を重ねたままで、それでも語れるモノがある。
 そういう沈黙のなかで、つなぎあえる手がある。
 ちょっとそのことを感じた映画でした。

共感度=★★★★☆ 問題作度=★★★★☆ オススメ度=★★★★☆ 


石塚とも |MAILHomePage

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