Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年08月04日(月) 心を浸食する現実

毎日毎日同じことばかりしている。まわりはすっかり夏休みを謳歌しているようだが、僕には関係がない。

どんなに忙しくても、気晴らしをしたり思い切り笑ったり騒いだりすれば気分は晴れるのだろう。しかし、そんな時間はないし、そんなことにつきあってくれる友人もいない。いや、いないわけではないが、彼らは僕以上に忙しいのだ。

話に聞く限り、世の中の多くの人がこのような生活を強いられているようだ。自分でこんな立場に陥ってみるまで、気を抜く時間もなく、毎日同じことを繰り返す生活がこれほどに苦痛を感じるとは思ってもみなかった。変化がないことは嫌いではない。だが、毎日賽の河原で石を積むような生活にはうんざりだ。時は流れ、年齢は確実に蓄積されるのだ。何かを成し遂げられなくてもいい。せめて、何かを学ばなければ。どうせできもしない仕事に、無駄に時間を費やしたくなどないのに。

専門外の人間ですら疑念を投げかけ、仕事を深く知る専門家ははっきりと無謀だと言いきる。それくらい、たった一人でシステムを構築するという仕事は無謀だ。実装段階ならまだしも、システム設計の根幹である要件定義や仕様決定は、それができればエリートの仲間入りができるほどの高いレベルのものだ。コンピュータ技術者など、今の世の中に腐るほどいる。しかし、システムを一から構築できる人間はあまりに少ないのだ。多くの人がその高度なスキルを習得しようと努力しているが、成功者はほんの一握りに過ぎない。

なぜそんなことを、僕がやらねばならないのだろう。僕に強い意志、確固たる目標があれば別だ。しかし、僕にとって大学院は時間稼ぎでしかない。最低限、社会に出て食べていけるだけの技術を身につけられればそれでいいのだ。死にものぐるいで勉強して、すべての時間を自分を高めることに使い、そのまま一生を終えるという人生はすばらしい。しかし、僕はそんな生き方に魅力を感じない。そんな生き方をしている人を尊敬するが、真似をしたくはない。

広く物事を眺めること、世間の事物に関心を寄せること、好奇心を持ち続けること。これらには、余裕が必要不可欠である。時間的、精神的な余裕があって初めて、物事の考察ができるというものだ。いつも仕事に追われ、それが終われば寝るだけの生活をしている限り、多くの事物を客観的に眺め、整理し、洞察することなどできはしない。多くの事物を客観的に眺めるなんて、そんなことになんの意味があるのかと感じるかも知れないが、僕は、たった1つのことにすべてを費やすよりもむしろ、そういう生き方に魅力を感じる。

歴史に名を残す必要などない。小市民で構わない。人間的な魅力は乏しいかも知れない。それでも、あらゆる事物に対して、人よりも少しだけ深く考えていたいのだ。


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