愛しき人よ、あなたは今、どうしていますか?
傷つき、悩んではいませんか?救いを求めてはいませんか?
私にできることはありますか?私は何ができるのですか?私にできることは何もないのですか?
日記を書いていてこんなにも気分が高揚するのは本当に久しぶりだ。久しく感じていなかった気分だ。どうしてこんなにも気分が盛り上がっているのだろう。燃え尽きる前のろうそくなのだろうか。
昔は、ずっとこんな感じだった。この調子で文字制限ギリギリまで、毎日書いていたものだ。いつから日記を書くことに冷めてしまったのだろう?どうしてそんなことになったのだろう。
今まで知らなかった不安に追われる生活、ようやく感じた欲望と、それを手に入れられなかった欲求不満。考えられる要素はいくつもある。では、今は何なのだろう。それはなくなったのか。そんなことはない。何も変わってはいないし、変えたいと願っていることも変わらない。
きっと、あきらめることができたのだろう。現状のまま生きていく決心ができたのだ。これから先、状況が悪くなる一方だってことは分かっていた。でも、それがこんなに早く訪れるなんて予想外だったんだ。
今の時代は、高校生がピークになるようにできている。スポーツをしていなければ体力的にも高校生がピークらしいから、ちょうどいいんだろうな。そこから先は、ひたすら下っていく一方なんだ。知っていた。気づいていた。分かっていた。でも、理解していなかった。感覚的な部分で、それを拒んでいたんだ。
ここから先は、自分の力で幸せをつかまなければ、幸せは遠くへ去ってしまう。親も周囲の人間も、だれも僕に幸せを与えてはくれない。ほしければ自分でつかむしかないんだ。でも、僕にはそんな力はない。なにかをほしいと思ったことがないから、ほしいものをつかむためにがんばったこともない。すべては与えられてきた。それで僕は満足していた。わざわざ自分で手を伸ばさなくても、必要なものはすべてそろっていた。それ以上ほしがるなんて、わがままだと思った。
今だって多くを失ってしまったけど、それでも何かをほしがるなんてわがままだと思う。僕は多少転がり落ちたけど、それでも僕より不幸な人なんて、世の中には腐るほどいるんだ。いや、今でも僕より幸せな人なんてそんなにいないだろう。物質的にも恵まれて、熱中できるものがあって、安全で、快適で。
精神的な部分は欠如しているかもしれないけど、物質的なものが欠如していなければ、自分の心次第でどうにでもなるものだ。貧すれば鈍すると言う。裏もまたしかりではないかと思う。
先人たちが作り上げてきた社会は、子どもには幸せを与えられるが、大人には与えられない。でも、大人なら自分の手で幸せをつかむことができる。歴史上、まれに見るほど幸せに恵まれた時代であることは間違いないのだ。そんなところに生まれてきたことを感謝しなければならないんだ。
神様なんて信じない。でも、今の僕の幸せは、偶然にしてはできすぎている。今、僕が触れているキーボード、使っているPC…。これ以上を探すのは難しいほどに高性能だ。何の不満もない。みんな多くの不満をもっているけど、僕は不満なんてほとんど感じてはいないんだ。今の環境に不満は感じるけど、きっとほかの人ならそれほど不満には思わないことなんだ。
こんな贅沢に慣れると、ここから先、下り落ちるだけの僕の人生はどうなってしまうんだろう。良い環境から悪い環境へと放り出されるなんて…。夏の暑さなんて本来は耐えられるはずなのに、クーラーの効いた部屋にいると、とても外気の暑さには耐えられない。僕は、社会の風に屈してしまうかもしれないな…。そうしたらどうするだろう。適当に犯罪を重ねて、首をつって人生を終えればいいかな。最後に愛する人を一目見れば、もう望むことなんて残りはしないだろう。…きっと。
それ以外に望むことのある人生を送れれば、それはもしかしたら、今よりも幸せな生活なのかもしれないな。期待はできないけどね。