江戸時代、アメリカに渡った艦長・木村摂津守を始めとして勝海舟、通訳のジョン・万次郎、福沢諭吉もいた。 彼等は日本の武士としてアメリカで大変な歓迎を受けとされている、日本の騎士であると尊敬を受けたそうだ。礼節を知るという騎士道と武士道の共感か?今、我々日本人ももう一度考えなくてはならない時期に来ていると思う。
孫文が1905年に東京で、興中会・華興会・光復会の革命団体を統合して中国革命同盟会を組織。三民主義(民族主義・民権主義・民生主義)を唱えて革命の指導理念とした。当時日本に多くいた亡命や留学した中国知識人が活動に参加したほか、海外の華僑や日本の進歩的資本家層の支持を受けた。,「革命いまだならず」と遺嘱して北京で客死した。彼の東京や神戸での講演は祖国を愛する感情に溢れている。
オーケストラアジア北京公演大成功の後の酒宴で「彼を守ろうとした日本人と日本を尊敬します。」というスピーチを聞いた。正直嬉しかった、神戸出身ということもあり、孫文のことは子供の頃から聞かされていたし、教科書外で授業に用いられていたように覚えている。
歴史の正しい認識とは?その国の教育に対する国際的認識と普遍性の止揚が最重要に思う、何千年に渡る交流の歴史、それを無視して政治的経済的優性を競うがため、一時期の歴史を怨念に変容させるのは、己に唾をすることに繋がるのではないだろうか?音楽やスポーツ交流で昨日のようなのは始めてだった、昨年北京での日本舞踊公演が現地で急にボイコットされた。何か別な思考が進行しているように思う、もしサッカーの決勝戦で無礼や故意ないやがらせがあったならば、国際社会は北京オリンピックにイエローカードを送るだろう。
 し)曰(のたま)わく、管仲(かんちゅう)の器(き)は小(しょう)なるかな。或(あ)るひと曰(いわ)く、管仲(かんちゅう)は倹(けん)なるか。曰(のたま)わく、管氏(かんし)に三帰(さんき)あり、官(かん)の事(こと)は摂(か)ねず、焉(いずく)んぞ倹(けん)なるを得(え)ん。然(しか)らば則(すなわ)ち管仲(かんちゅう)は礼(れい)を知(し)るか。 曰(のたま)わく、邦君(ほうくん)樹(じゅ)して門(もん)を塞(ふさ)ぐ、管氏(かんし)も亦(また)樹(じゅ)して門(もん)を塞(ふさ)ぐ、邦君(ぼうくん)両君(りょうくん)の好(よしみ)を為(な)すに、反拈(はんてん)あり、菅氏(かんし)も亦(また)反拈(はんてん)あり。菅氏(かんし)にして礼(れい)を知(し)らば、孰(たれ)か礼(れい)を知(し)らざらん。
「衣食足りて礼節を知る」という諺は、ここからとったものです。
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