新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2004年11月02日(火) 古武術と指揮法

 桐朋流なんば歩き、走りというのがありますこれは桐朋高校のバスケット部を古武術の技を応用して全国大会にまで持っていった金田監督が言っているのです。

 桐朋流というとやはり斎藤指揮法でしょう、弟子の小澤先生(僕の頃は斎藤先生最晩年で車椅子で指導してました主に小澤先生に扱かれました)何故古武術と指揮法なのかというと、技に言葉があるのです、これは柔道では国際的に同じ技名を言っているのと同じで指揮法も
しゃくい、跳ね上げ、先入、叩き等、テクニックに名前を附けたのがトーサイ先生なのです、小澤さんはバークッシャー音楽祭での指揮教室で世界各国から集まる指揮者志望の若者に「タタキ、センニュー」等教えていました、斎藤先生は著書の中で指揮法が国際柔道のように共通の言葉で言える時代がくるだろうとおっしゃってました、正に今そうなのです。

 柔道も指揮法も誰が見ても解る単語で名がつけられています、しかしながら古武術の技は傍から見ていても全く解らないのです、何故アメフトの選手が甲野先生の技にかかって潰されるのか?どうしたらそうなるのか?

 甲野先生が【井桁崩し、足裏の垂直離陸、浪之上、浪之下、柾目返、後両手持たせ、切込入身、体勢の崩しあい】など名をつけた事と桐朋の金田監督のバスケットへの応用が現在のように一般に知られる事になったのだと思います。

 幕末から明治に初期にかけての体育の歴史の本を読んでいるうちに、強制されて身につけたものは、平均的、画一的なレベルの人間は作れても、達人のレベルは自主的な興味と取り組みが不可欠です。その発想の助けになるのが単語です、そこからその人独自の技を創造していくのが修行というより実は普通の日常に転がっている事だと思います。特別な事ではないのです、箸を持つとき、歩く時、料理を作る時等々、結局美意識に繋がっていくのだと考えています。





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