| 2007年05月30日(水) |
ZARD 急死の真相は |
「 哲学で唯一深刻な問題は、自殺である 」
アルベール・カミュ ( フランスの作家 )
There is but one truly serious philosophical problem and that is suicide.
Arbert Camus
松岡農水相が自殺 ( suicide ) した日、歌手の ZARD も急逝した。
奇しくもその舞台は、松岡農水相が運び込まれた慶応病院である。
時代に左右されない曲調と、特に女性層からの共感を得やすい歌詞などの魅力によって、彼女の歌は世代を超え多くの人に愛され、親しまれてきた。
直接の死因は転落による脳挫傷ということだが、子宮から癌を摘出したり、それがまた肺に転移していたりして、入退院を繰り返していたという。
それで 「 病気を苦にしての自殺 」 なのか、なにかの拍子で足を滑らせての 「 転落による事故死 」 なのか、現在、警視庁の調査が続いている。
一部の目撃証言から、柵を乗り越えようとしていた可能性があり、事実だとすれば 「 自殺 」 の線が強い。
だが、身辺整理をした形跡がなく、復帰に向けて作詞や創作活動を意欲的に行っていたという関係者の証言もあり、「 事故 」 だとする見方もある。
真相は判明していないが、仮に自殺であったとしても、松岡農水相の場合とは、いささか状況が違うとみて間違いなさそうだ。
本来、人間には生きる義務があり、自殺などもってのほかと言いたいところだが、唯一、「 病苦 」 が重い場合には、これを例外と考えるべきだろう。
眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのであり、それに抵抗して苦痛を長引かせることが、必ずしも正しいとはかぎらない。
鬱病の人がよく自殺を企図するが、彼らは 「 病人 」 ではあっても 「 瀕死 」 というわけじゃないので、これには該当しない。
単なる我侭や、甘えや、現実からの逃避で死を選ぶのとは別問題であり、精神的苦痛は肉体的なそれと違って、各自が乗り越えねばならない。
自殺を図る人間の 9割 は 「 鬱病 」 であるという統計結果があり、自殺を減らすには 「 鬱病患者を減らすこと 」 が最も効果的だと言われている。
誤解しないでもらいたいのは、あくまでも 「 自殺者の 9割 が 鬱病 」 なのであって、「 鬱病 の 9割 が自殺する 」 というわけではない点だ。
私の周囲にも鬱病の人がいるけれど、同じ鬱病でも 「 鬱 と 闘う人 」 と、「 鬱 に 甘える人 」 がいて、両者には雲泥の差がある。
私の場合、鬱病患者全体への偏見を持っていないが、「 鬱 と 闘う人 」 に対しては大いに尊敬するし、「 鬱 に 甘える人 」 には嫌悪感を持っている。
鬱病患者でも、鬱に立ち向かう人は自殺など考えず、粛々と治療に励み、他人の忠告を受け入れて思考を改め、他人に 「 死 」 をほのめかなさい。
他人に死をほのめかしたり、周囲に愚痴を吐くだけでは物足りず 「 ネットで泣き言を書き連ねる 」 ような御仁には、まったく鬱と闘う意志がない。
彼らは 「 鬱病に苦しんでいる 」 素振りをみせながら、実際には鬱を口実にして他人の関心を引き寄せ、ただ、甘えたいだけの弱虫である。
こんな人々を野放しにしたり、それに同調する風潮が、ますます鬱病を蔓延させる結果につながっており、ぬるい世の中を形成している。
また、本来なら鬱病の人は 「 言いたいことが言えない 」 から鬱病になったわけで、他人の悪口や、政府の批判などをするタイプではない。
自称 「 鬱病 」 と名乗るブログで、口汚く政府や閣僚の悪口を吐いている人は、鬱病から 「 分裂症 」 など別の精神病に進行している危険がある。
前述の 「 鬱 と 闘う人 」 は自殺に否定的なのだが、「 鬱 に 甘える人 」 は自殺者を庇い、自らも他人と交渉する手段として自殺企図を活用する。
一般的に 「 善い行い 」 とは、人々の模範となる姿勢であり、未来ある若者や子供たちに真似て欲しいと願う行動のことを指すはずだ。
そう考えたなら、自殺が 「 善い行い 」 であるわけがなく、悪しき、憎むべき醜い愚行であることは、火を見るよりも明らかであろう。
松岡農水相や ZARD の死を悼み、その心中を察するのには問題ないが、後に続く ( 勘違いした ) 人間が出てくることに危惧がある。
死者に鞭打つわけではないが、こういった機会に 「 自殺は悪いことだ 」 という意思表示を明確にし、特に、若年齢層に伝えることが望ましい。
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