| 2007年07月10日(火) |
精神鑑定と刑事責任能力 |
「 離婚は、弁護士が幸せに暮らせるようにできている 」
英語のジョーク
Divorces are arranged so that lawyers can live happily.
English joke
弁護士、被害者、加害者、それぞれの立場によって利害は異なる。
ただし、ある日突然、弁護士が被害者や加害者になる可能性もある。
以前の日記にも書いたが、「 犯罪被害者の会 」 の代表幹事 岡村 勲 氏 は、もともと弁護士として長く活躍されていた。
ところが、仕事上の問題で彼を逆恨みした男に奥さんを殺害され、はじめて被害者や遺族がどんなに悲惨で、不公正な目に遭っているかを知る。
職務上、やむを得ない部分もあるのだけど、弁護士は依頼人を有利に導くこと、裁判に勝利することが、ときに倫理や法秩序よりも優先されやすい。
その判断が、いかなる場合も揺るぎないならよいが、「 けして自分が被害者の立場にはならない 」 という前提のもとに下されているのが実情のようだ。
すべて国民は 「 犯罪被害者予備軍 」 であることを思えば、現状のように、加害者に手厚く、被害者に冷淡な法制は、改善する余地が大きいだろう。
昨年の3月に、川崎市で小学3年の男児をマンション15階の通路から投げ落として殺害した男に対し、横浜地裁は精神鑑定を行うと決定した。
それは弁護側の申請によるもので、検察側の精神科医が 「 重度の うつ病 ではなく、完全責任能力がある 」 と述べた意見を覆した結果となった。
焦点となるのは 「 刑事責任能力 」 の有無だが、日本の法律では、善悪の判断がつかない者、その判断に従って行動できない者は、罰せられない。
つまり、そういう人物によって肉親を殺されても、懲役刑などの刑罰で矯正することは不可能なので、刑事責任は追及されないのである。
精神病で、わけもわからず殺人を犯した者を投獄するのは 「 可哀相 」 という論理もわからないではないが、遺族の無念は置き去りにされたままだ。
たとえば、自分の子供 ( 幼児 ) と電車に乗っているとき、子供が手にしたアイスクリームが他の乗客の衣服を汚した場合、皆さんはどうなさるのか。
幼児に “ 刑事責任能力 ” は無いので、「 仕方ないですなぁ、運が悪かったと思って諦めてください 」 と誤魔化すような人は、まず、いないだろう。
実際、幼児に “ 刑事責任能力 ” が無くても、親に “ 保護責任 ” があるのだから、子供に代わってクリーニング代などを弁済する義務が生じる。
たとえ大人でも、「 事物の是非・善悪を判断する能力がない 」、「 その判断に従って行動できない 」 者は、なんら幼児と判断力に変わりはない。
ましてや、「 自他殺傷のおそれ 」 がある場合は、はるかに幼児よりも危険な存在であり、保護者もなく、自由に街中を徘徊させるべきではない。
前述の被告のように精神鑑定を受け、仮に “ 刑事責任能力なし ” と判断された場合は、精神病院への入院措置がとられ、社会に放置はされない。
ただし、懲役刑などに比べると、はるかに短い期間で退院させているのが実情で、退院後、四六時中にわたって監視されるわけでもない。
けして、「 精神病院に閉じ込めておけ 」 とは言わないが、片方で 「 矯正は不可能 」 と判断しながら、短期間で退院させている実態には矛盾がある。
親が出来ないなら、司法が代行して 「 刑事責任能力のない犯罪者 」 を、責任をもって保護し続けてもらわないと、社会の秩序と安寧が保てない。
精神病患者、自他殺傷のおそれがある者、いづれも増加の傾向にあることは周知の事実で、この問題を放置するのは、将来に重大な危惧感がある。
弁護士をはじめとして、加害者の保護にあたる人々は、特に、「 刑事責任能力 」 に疑問のある場合、憐憫や同情が必要だと訴える。
しかし、本気で彼らを救済したいと考えるのであれば、彼らを 「 被害者 」 にも 「 加害者 」 にもしない努力が、求められるのではないだろうか。
無責任な同情論は、加害者側にも、被害者側にも新たな悲劇を生み、策も無く、延々と繰り返されていくばかりである。
特に、弁護士の先生方にお願いしたいのは、「 精神鑑定まで持ち込んだら成功 」 ではなく、加害者の更生、社会復帰に責任を感じてもらいたい。
憲法改正に、「 戦争で大事な息子を死なせたくない 」 なんて不安を抱く人もいるが、もっと身近に 「 誰も責任をとれない危険 」 が満ちているのだ。
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