Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2007年09月06日(木) 法律を越えた法律がある



「 武器がものを言うとき、法律は沈黙する 」

        マルクス・トゥリウス・キケロ ( 古代ローマの政治家、哲学者 )

When arms speak, the laws are silent.

                            Marcus Tullius Cicero



この句は 「 正当な殺人はあるのか? 」 の問いに、「 ある 」 と答えている。

極限状態においては、杓子定規に法律を適用できない場合も在り得る。


静岡県島田市で、掛川市の会社員の男性 ( 38歳 )が、静岡市の美容師見習いの少女 ( 15歳 ) に腹部などを刺され、死亡する事件があった。

警察が少女に事情を訊いたところ、「 事件前夜の帰宅途中、男性に刃物で脅され、手を縛られたうえ、車で県内を連れ回された 」 と話している。

少女の証言は詳細に亘り信憑性があり、これは 「 拉致された状況、恐怖から、逃げ出すための手段 」 として、正当防衛にあたる可能性が高い。

なかには、「 だからといって殺さなくても 」 と思う方がいるかもしれないけれど、「 刺さなければ殺されると思った 」 とも、彼女は話している。

すべて証言が事実なら、死亡した男性は 「 自業自得 」 の非があり、少女こそ真の被害者で、その行為は 「 正当 」 と認められるべきだ。


有事の備えを怠らない努力は大切だが、平時の状態にある者が、有事の対処法を議論したところで、いざ、その通りに行動できるとはかぎらない。

仮に、暴漢に襲われた際の対処法として、法律なり、マニュアルなりを定めたとしても、深刻な身の危険が迫るとき、それに従う義務は優先されない。

最も重要で、優先されるべき目的は、「 安全な状態に逃れること 」 であり、そのためなら、いかなる手段を用いたとしても、それは仕方の無いことだ。

もし、本人に危害が加えられなくても、たとえば友人が暴漢に襲われ、少女の腕力では制圧できないと感じたら、武器を手に相手を倒しても構わない。

法律違反ではないかと躊躇し、攻撃をためらったことで自分や友人が傷を負い、あるいは命を失ったとしたら、永遠の後悔が少女を苦しめるだろう。


憲法9条の是非が問われ、改憲、あるいは護憲の主張を持つ人々の間で議論が交わされているが、私自身としては、改憲すべきだと考えている。

長くなるので、理由は別の機会に書くが、今の時代、今の国際環境に適応できる 「 生きた憲法 」 とは思えないし、有事に遵守できる可能性も低い。

ただ、強硬に改憲すべきだと主張しないのは、冒頭の句にもある通り、もし有事になり武力衝突が日常化すれば、法律など意味を成さないからだ。

こちらが銃を構えた状態で、敵に銃を向けられ、先に発砲するのは、自分に 「 自衛権 」 があるからではなく、「 生存本能 」 があるからに違いない。

殺される間際に 「 命の心配 」 をするのは自然の摂理だが、先に 「 憲法に抵触しないか 」 などと第一に考えるのは、どうみても不自然である。


それと同じように、友軍の兵が攻撃されている際に、助太刀して命を救おうとするのも、「 集団的自衛権 」 の問題などではない。

自分が手を貸さなかったことで、友人の命が失われるなどという結果を招いたら、それは 「 憲法に違反した 」 程度の後悔では済まないだろう。

憲法の問題は、「 平和な状況で、是非を語り合っている 」 から意見が分かれているだけで、有事に際しては思想より、行動と、その結果が問われる。

先に紹介した事件の少女は、男性を刺殺するために車へ乗り込んだのではなく、拉致に巻き込まれた結果、自己防衛の権利を行使しただけだ。

憲法が改正されても、日本が自発的に他国へ攻め入る可能性は低く、巻き込まれた我々がどんな行動をとるべきか、それを考えることが望ましい。






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