| 2007年09月10日(月) |
日本が給油を継続する意義 |
「 日本は偉大な国だ。
そろそろ、それにふさわしい行動をとっていい頃だ 」
ジョン・C・ダンフォース ( アメリカ上院貿易小委員長 )
Japan is a great nation. It should begin to act like one.
John C. Danforth
スポーツでは、フェア・プレイの精神が強調されている。
これは、世界中どこの国においても、共通した考え方のようだ。
子供たちはスポーツを通して、健康な身体を作るだけでなく、規則に従い、相手に対して 「 けして不当な行為はしない 」 ことを学ぶ。
どちらが勝つかということよりも大切なのは、「 プレイがいかになされたか 」 ということであって、フェア・プレイの価値は何よりも優先される。
しかし、スポーツ以外の分野 ( たとえば、仕事、政治、普段の生活など ) に目を移すと、日本人はアメリカ人ほど 「 フェア 」 にこだわらない。
アメリカ人にとって [ fairness ] とは、「 命の次に大事な事柄 」 だといっても過言ではなく、日常的に “ フェア ” か “ アンフェア ” かの議論が多い。
たとえば、日本の母親は兄弟喧嘩を 「 どちらが悪いか 」 という基準で裁くが、アメリカの母親は 「 どちらが アンフェア か 」 という基準で諌める。
第二次大戦に敗れ、幹部から末端の兵士まで戦犯として訴追、処刑され、世界に向け日本は 「 二度と戦争はしません 」 と誓わされた。
そんな日本が、過去の反省を踏まえ、戦争を 「 悪いこと 」 と認識しているのは大いに結構なのだが、戦争の火種は世界中に散らばっている。
今日的な問題は、「 平和憲法を楯にして、知らぬ顔を通すか 」、あるいは 「 国際社会の治安維持のため、協力を申し出るか 」 という選択にある。
もし仮に、戦争は 「 良いか、悪いか 」 という日本的な発想で議論が進むと、当然、「 他国の戦争に荷担してはいけない 」 という結論に辿り着く。
改憲反対、日米安保反対、集団的自衛権反対、テロ特措法反対と唱える人々の論旨は、結局、この 「 良いか、悪いか 」 という基準によるものだ。
しかしながら、アメリカをはじめとする諸外国は、「 日本は国際社会の一員として、フェア に貢献する意志があるか、否か 」 という視点で眺めている。
それに対し、「 日本には平和憲法がある 」 と反論しても、アメリカにだって 「 どんどん戦争をしましょう 」 という法律があるわけではない。
どの国々も、好きこのんで戦争をしているわけじゃなく、平和的な外交手段だけでは 「 どうしても解決できない問題 」 に業を煮やしているのだ。
日本国憲法の存在など 「 百も承知のうえ 」 で協力を依頼されているのに、先進諸国と足並みを揃えない姿勢は、どうみても “ アンフェア ” に映る。
しかも、日本の世論を考慮して、給油や物資の輸送を要求されているだけで、けして「 武装した軍隊を供出せよ 」 と言われているわけではない。
政府与党には逆風が吹き荒れ、民主党に追い風が吹く中、テロ特措法に賛成するのか、あるいは反対するのか、いまのところ趨勢は不明だ。
ただし、国際社会、特にアメリカは、日本に対して [ fairness ] という視点で姿勢を評価する傾向にあることを、知っておいたほうがよいだろう。
国内の問題は 「 善か、悪か 」 の判断で済むが、対外的には “ フェア ” か、“ アンフェア ” かという物差しがあることを、覚えておいたほうがよい。
そこに、「 憲法上の問題 」 があるのならば、憲法そのものを見直す必要もあるわけで、それこそ、私が 「 憲法は改正すべき 」 と考える所以である。
冒頭の言葉が示す通り、戦後レジュームの脱却をはかりつつ、「 そろそろ、ふさわしい行動をとっていい頃 」 ではないだろうか。
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