「 俺の仕事は、人間を傷めつけることさ 」
シュガー・レイ・ロビンソン ( プロボクサー )
My business is hurting people.
Sugar Ray Robinson
なんとも荒々しい コメント だが、本心ではなかったようだ。
試合前の ボクサー は、過剰な闘争本能を示して、相手を威嚇する。
私は、スポーツ と名のつく競技の大半が好きで、若い頃から色々と参加し、観戦してきたが、いまからでも挑戦できるものがあれば試みたいと思う。
ただ、一部に 「 嫌いでもないが、スポーツ とは認め難いもの 」 があって、たとえば 「 フィギュア・スケート 」 などが、その一例である。
フィギュア・スケートの場合、スポーツ の三大要素といわれる 「 心・技・体 」 だけでなく、評価には 「 美 」 という尺度が大きく影響される。
頂点を極めるためには、高度な運動能力と、膨大な練習量を必要とする点からみると スポーツ と言えなくもないが、それは 「 ダンス 」 でも同じだ。
その観点から、フィギュア・スケート やら、シンクロナイズド・スイミング は、「 スポーツ を基盤にした、一種の エンターティメント 」 だと思っている。
大半の格闘技は 「 スポーツ の一種 」 といえるが、それ以外の スポーツ と比べ、目的や志の点において、一線を画しているように思う。
観戦者の視点からみても、いわゆる 「 格闘技 好き 」 と 「 スポーツ 好き 」 とは、別のカテゴリーに属され、似て非なるものという気がする。
いづれにせよ、これらすべての スポーツ に共通しているのは、「 健康 」 という キーワード であり、当然、「 スポーツ = 健康的 」 な印象が強い。
その目的が、勝敗を決める 「 競技 」 であっても、余暇に楽しむ 「 趣味 」 であっても、「 体調維持 」 であっても、スポーツ とは健康的なものだ。
だから、「 ただ勝てばよい 」 のではなく、競技者はルールを遵守し、心身の健康を心がけ、主催者は明るく公正に、開かれた運営を行う必要がある。
そういう意味においても、以前から 「 相撲 」 という競技には疑問点が多く、格闘技とも、その他の スポーツ とも、エンターティメント とも主旨が違う。
まず、「 鍛えている 」 とはいえど、力士達の体型は 「 健康的 」 と思えず、巨体を維持するために、とにかく 「 がむしゃらに食べて太る 」 のである。
ここが、他の スポーツ や格闘技とはまるで違い、事実、平均寿命を比べても、力士出身者には 「 早死に 」 が多く、本人の健康に寄与していない。
ならば、エンターティメント なのかというと、作法や、伝統や、規則に厳しく、フィギュア・スケート のように、観客を喜ばせようとする演出もない。
あえて定義すると、相撲とは 「 伝統芸能 」 であり、スポーツ というよりも、能や、文楽や、歌舞伎といった 「 伝統的な大衆文化 」 ではないだろうか。
大相撲時津風部屋の力士だった 斎藤 俊 さん ( 当時17歳 ) が、けいこ中に急死した背景に、兄弟子らからの リンチ のあった疑いが浮上してきた。
しかも、監督責任があるはずの時津風親方は、それを制止するどころか、自らもビール瓶で頭を殴るなどして、暴行に加わった事実が判明している。
正直に言うと、私も中学から大学まで運動部の主将を経験したが、指導という名目で、後輩に暴力を加えたことは ( 数え切れないほど ) ある。
たしかに、それは 「 権威を振りかざした暴力 」 であったかもしれないが、集団的な シゴキ や イジメ ではなく、まして 「 死に至る脅威 」 ではない。
相撲部屋の密室で、このような蛮行が繰り返され、未来ある若者の生命を奪った事実は、紛れもなく 「 殺人 」 として刑事訴追されるべきだろう。
昨今の相撲界は、少子化の影響や、相撲人気の低迷によって、新弟子の入門希望者が大幅に減り、将来への大きな不安を抱えているという。
モンゴル をはじめとする海外からの力士が急増した背景にも、そういった 「 人材不足 」 が原因となっており、この傾向は止まりそうにない。
一般的な スポーツ と違い、相撲は 「 伝統文化的な色彩 」 が濃いために、うまく馴染んでいるようにみえても、外国人には理解され難い側面がある。
横綱の 朝青龍 が仮病に厳罰を課され、精神病になって故郷へ逃げ帰ったのも、それらの軋轢に対する ストレス が大きかったようだ。
お好きな方もいるだろうが、私としては 「 明るく健康的でない スポーツ 」 である大相撲に対し、「 そろそろ廃止すれば? 」 という気分である。
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