| 2007年09月29日(土) |
ミャンマー軍事政権と民主化運動 |
「 人々を統治するには、まず彼らに “ 統治しているのは自分たちだ ” と
思い込ませることだ 」
ウイリアム・ペン ( イギリス出身の政治家、法律家、宗教家 )
Let the people think they govern and they will be governed.
William Penn
ペン は ロンドン に生まれ、38歳で フィラデルフィア に入植した。
以来、ペンシルバニア の開発に尽力し、晩年は アメリカ の英雄になった。
17世紀の中頃、イギリス では、キリスト教の儀式化、神学化に反対する 「 クエーカー教徒 」 と呼ばれる宗派が興り、現在も活動が続いている。
ウイリアム・ペン が クエーカー教徒を率いて フィラデルフィア に入植したのは 1682年 で、アメリカ東海岸における 「 モデル都市 」 の基礎を築いた。
性や、人種による差別に反対した ペン の意志は、彼の死後も教徒に引き継がれ、1758年には 「 奴隷売買の禁止を促す宣言 」 が発表された。
それは、エイブラハム・リンカーン の生誕より50年も前のことで、いまでもアメリカ人にとって フィラデルフィア は、自由と寛容の象徴となっている。
エイズ患者に対する差別と偏見を描き、トム・ハンクス 主演で映画化された 『 フィラデルフィア ( 1993年 米 ) 』 の題名も、それに起因している。
ペン が遺した冒頭の名言は 1693年に書かれており、アメリカ独立宣言の公布 ( 1776年7月4日 ) より80年も前に、民主主義の真髄を捉えていた。
形式的には民主主義のスタイルをとっていても、権力者が富を独り占めにしていたり、国民に参政意識を与えていないと、クーデター は起きやすい。
逆に、軍部主導の下、独裁主義、社会主義を貫く政権では、民衆が暴徒化し、反政府勢力となって、内乱が勃発するケースが多くなる。
1988年、ミャンマー では、全国的な民主化要求デモにより、26年間続いた社会主義政権が崩壊したが、すぐさま国軍がデモを鎮圧した。
1990年には総選挙が実施され、アウン・サン・スー・チー女史の率いる国民民主連盟が圧勝したが、それを政府は無視し、政権移譲を行わなかった。
以来、現在に至るまでの間、政府側が女史に自宅軟禁措置を課す一方で、同女史は政府を激しく非難するなどして、両者の対立は続いてきた。
今回のデモは、8月15日、ミャンマー政府によるガソリン、ディーゼルオイルなどの公定価格引上げを発表されたことが、発端となっている模様だ。
手元にある2005年の資料をみると、ミャンマー の経済成長率は 5.0% だが、物価上昇率は 17.6% で、インフレに困窮する人々が多そうである。
経済の鈍化を招いた要因は、女史の拘束などを根拠として、「 対ミャンマー制裁法 」 をアメリカが制定し、国内産業が打撃を受けた影響が大きい。
2004年には、EUも、民主化状況に進展が見られないとして、国営企業への借款の禁止等を含む制裁措置の強化を決定し、事態はさらに悪化した。
現在、日本政府は 無償資金協力で 17.17億円、技術協力で 16.41億円の経済協力が実績としてあり、主要援助国で トップ の位置にある。
外務省によると、日本政府は現状を強く懸念し、女史を含む関係者が関与した国民との和解と、民主化プロセスの具体的進展を求めているらしい。
少し前までの北朝鮮政策と同じで、「 対話 」 という名目によって、事実上、日本は 「 ミャンマー軍事政権 への支援 」 を、積極的に行ってきたのだ。
国民の大部分が、貧困と圧政者からの弾圧に苦しみ、海外に救いの手を求めているが、それは 「 援助 」 でなく、「 現政府の打倒 」 が望みである。
つまり、「 おそらく自分達の口には届かない食料を送るよりも、軍隊を投入して現政府を転覆させてほしい 」 というのが、現地の生の声だ。
実際のところ、「 フセイン統治下のイラク 」 も同じだったわけで、アメリカの参戦が是か非かは別として、武力的な介入を喜んでいるイラク人は多い。
日本は 「 平和主義 」 の名の下に、武力行使など論外だし、同盟国相手に石油を供給することさえ 「 憲法に違反するから 」 と、反対の声が上がる。
そうなると当然、国際社会からは 「 日本は国際貢献をしないのか 」 と批判されるのだが、「 たとえ軽蔑されても、自国の憲法が優先 」 なのである。
結局、対案として浮上するのは、いつも 「 話し合いと、人道的支援 」 という形式的な キレイゴト で、事実上、「 お金を貢ぐ 」 だけの手段だ。
それが、苦しむ国民に届けられるなら マシ だが、軍事政権に資金を提供するような 「 現地の人々が最も恐れる結果 」 に繋がる危険も高い。
ウイリアム・ペン は奴隷開放を叫び、独立宣言は 「 自由・平等・博愛 」 を謳ったが、実際に奴隷の開放を成し得たのは、リンカーン である。
その手段は 「 平和的な話し合い 」 でなく、当時のアメリカを二分し、大量の死傷者を生み出した 「 南北戦争 」 であったことが歴史に刻まれている。
戦争は避けたいけれど、「 肌の色が違う民族の自由を守るために、同胞を殺しても貫かねばならない正義 」 が、そこには存在したのである。
当時の合衆国憲法に、「 正義のためなら、戦争をしてもよい 」 という記述はなかったし、奴隷制を続けても、南北双方の白人が困りはしなかった。
直接的、間接的を問わず、武力行使に関わるのは リスキー だが、名誉や尊厳を捨て、憲法を楯に 「 見て見ぬフリをする 」 よりは マシ な気がする。
かたくなに護憲を訴える人々は、「 民主化よりも平和が大事だ 」 と唱えるのかもしれないが、そんな発言ができるのも、民主主義の恩恵である。
もちろん、民主国家に暮らしていても、不正や、権力者の横暴に苦しめられることは在り得るし、すべてが自由というわけではない。
しかしながら、冒頭の言葉にある通り、“ 自分たちが統治している ”、“ この国を動かしている ” という実感がない生活は、人間の暮らしではない。
物理的には、社会主義、共産主義、独裁主義でも、生きていくことは可能だが、個人の自由と人権が認められない体制下で、尊厳は保たれるのか。
たぶん ミャンマー には、経済的連携関係の深い 「 中国への配慮 」 から、日本政府は何もしないだろうが、武力によってでも民主化を助けるべきだ。
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