| 2007年10月06日(土) |
コンビニ店員刺殺事件 |
「 その同じ人物が、死んでしまえば愛される 」
クィントゥス・ホラティウス・フラックス ( 古代ローマの詩人 )
The same man will be loved after his death.
Quintus Horatius Flaccus
人が死ぬと、「 仏さま 」 や 「 お星さま 」 になると説く人がいる。
子供の頃から私は、「 そんなわきゃ、ねーだろ 」 と思い続けてきた。
どれほど利口な人物であっても、その様子を窺い知ることのできないものが 「 死後の世界 」 であり、その全貌は謎に包まれている。
誰かが一度、試しに死んでみて、それから戻ってきて報告するという作業ができないので、この謎だけは永遠に解明されることがないだろう。
たまに、九死に一生を得たという人物が現われ、死の淵をさまよいながら 「 あの世を見た 」 なんて話も聞くが、なんとも信じ難いものだ。
それは 「 死後の世界 」 ではなく、その人の 「 死にかけた状態で見た夢 」 だと考えるほうが、科学的には説明をつけやすい。
人が死ぬと何処へ行くのか、どういう状態になるのか、電源を切ったテレビ画面のように プツッ と消滅して何も無くなるのか、誰にもわからない。
なのに、「 天国とは、こういう場所だ 」 とか、「 地獄とは、こういう場所だ 」 と語る宗教家が世界中に溢れ、それを信じる人間も倍以上にいる。
死期が目前に迫ると、それ ( 死んだ後のこと ) が気になるのかもしれないけれど、元気なのに、そんなことを考える気持ちが、私には理解できない。
いづれにせよ、よほど年老いたり、不治の病にでもならないかぎり、死んでからのことを考える暇があったら、今を楽しんで生きたほうが賢明だろう。
大事なことは 「 死んで、どうなるのか 」 よりも、命のある間に 「 どう生きたのか 」 であって、「 死に方 」 より 「 生き方 」 のほうが、何万倍も重要だ。
マトモな生き方をしなかった者を、死んだからといって 「 仏さま 」 だとか 「 お星さま 」 なんて扱い方をする風潮には、ずいぶんと疑問を感じる。
偶然だと思うが、この1ヶ月間に 「 店員が、万引き犯人を乱暴して死なす 」 という事件が 3件も連続して起こり、いづれも傷害致死などで逮捕された。
多少の怪我を負わせたとしても、万引き犯人が死に至らなかった場合は、むしろ 「 お手柄 」 として、犯人検挙の功績が認められたかもしれない。
店員は、「 生け捕りにすれば功労者 」、「 犯人が死ねば加害者 」 であり、万引き犯人は、「 生きていれば加害者 」、「 死んだなら被害者 」 である。
たしかに、いくら犯罪者といえども、いたづらに生命を奪うことは許されないが、たとえ死んだからといって、「 悪人 」 が 「 善人 」 に化けはしない。
特に日本人の場合、どんな生き方をした者でも、死者に敬意を払いすぎる傾向があり、それが 「 自殺 」 を多く生む元凶にもなっている。
大阪府のコンビニ店で、今度は 「 逃走する万引き犯人を捕らえようとした店員が、犯人の隠し持ったナイフで刺殺される 」 という事件があった。
マスコミは、被害者を 「 正義感の強い青年 」 と称え、犯人を憎悪の対象として報道している。
前述の 「 傷害致死に問われた店員 」 と、この 「 正義感の強い青年 」 とは、一体、どこが違うのか、その点について疑問に思う。
�� 犯人が万引きをする ⇒ �� 犯人を追跡する ⇒ �� 犯人を捕らえる までの経緯については、前者も後者も、まったく同じである。
唯一、異なる点は 「 犯人が死んだ 」 か 「 店員が死んだ 」 かだけで、その差が 「 殺人犯 」 と 「 正義漢 」 を分かつのは、いかがなものだろうか。
傷害致死に問われた店員の場合、万引き犯人を捕らえてからの拘束した状態で、必要以上の暴行を加えたのかもしれない。
しかし、もし手加減をしていたら、あるいは、もし万引き犯人が凶器を持っていたら、彼らの方が生命を奪われていた可能性もある。
見ず知らずの万引き犯人が、どの程度の格闘力を持っているのか、凶器を携えているのかなど、その場で瞬時に見極めることは難しい。
まして、どのような持病があるのか、どの程度の攻撃で死に至るのかまでは知る由も無く、「 犯人が死んだから、お前が犯人 」 では何もできない。
もちろん、そっと盗まれるのを眺めているだけなら、少なくとも加害者になることはないが、それでは店舗の損失を招くし、店員の職責を果たせない。
武道の心得がある人なら、ご理解をいただけると思うのだが、向かってくる敵を倒す以上に、逃走する敵を確保するのは難易度が高い。
基本的に、「 死なない程度に動けなくする 」 ためには、足を狙うのが一番だが、それでも犯人が転倒して頭でも打ったら、死なないとはかぎらない。
それも、ある程度の知識と経験がなければ、どこに打撃を加えれば効果的かということが、わからないし、教えてあげても実践できないだろう。
偉そうに言う私とて、長い間、そんな経験はしていないし、年もとったから、若くて威勢のいい巨漢に絡まれたら、正しく対処できるか自信がない。
ある日突然、暴漢に対峙して、相手を死なせてしまう危険は誰にでもあり、獄中から 『 今夜の気分 』 を綴る可能性が在り得ないわけではない。
この世界に 「 生まれてこないほうがよかった人間 」 はいないが、生き方により、もはや 「 死んだほうがいい人間 」 というものは存在する。
たとえば死刑囚は、「 死んだほうがいい人間 」 と成り果てたわけであって、万引き犯人の場合、そこまでいかないが、罪人であることに変わりは無い。
罪人は、警察官や、現行犯の場合は一般人にでも捕獲される 「 理由 」 があるわけで、その際に抵抗すると、死傷するリスクは覚悟すべきだろう。
暴論かもしれないが、明確に故意と認められないかぎり、民間人が罪人を現行犯逮捕する際、犯人が死傷しても咎めない法を適用すべきと思う。
どんな輩であろうと、「 死んだら善人 」 みたいな風潮では、万引き犯人は死なないかもしれないが、世の中から 「 正義 」 が死滅する。
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